書評・最新書評

脱原発の哲学 [著]佐藤嘉幸・田口卓臣

[評者]諸富徹(京都大学教授・経済学)

[掲載]2016年05月01日

[ジャンル]科学・生物

表紙画像

■構造的差別の連鎖に終止符を

 熊本地震で改めて、原発と地震の関係が注目されている。私たちが活断層から免れられない以上、「地震大国日本と原発は共存できるか」という根源的な問いは避けられない。原発を根底から問い直す本書を貫く大きな主題は、「否認」と「差別性」だ。実際、原発推進の歴史は、原発事故の否認の歴史でもある。石橋克彦による「原発震災」の問題提起に対し、原発の専門家たちは、科学的論拠を示さないまま「起こりえない」と否認し続けてきた。しかし現実には、石橋の警告通りのことが福島で起きてしまったのだ。
 事故後も、否認は繰り返される。「プルトニウムは飲んでも問題ない」(大橋弘忠)、「放射能の影響はニコニコ笑っている人には来ない」(山下俊一)といった発言はもはや戯画的だが、いずれも専門家とされる人たちの発言だ。同様に、福島県内で小児甲状腺ガンの発症件数が増加しているが、科学論争を避け、問題を否認しようとする空気が支配的だ。「科学」とはいったい何なのか。著者らはアドルノとホルクハイマーに拠(よ)りながら、科学が健全な批判精神を失い、中立性の名の下に現状肯定と既得権益の擁護に走る様を痛烈に批判する。
 こうした科学による否認は、公害問題で繰り返し起きてきた。そして、「構造的差別」もまた、公害問題に通底する大きな論点だ。原発はその存続上、不可避的に幾重もの差別性を帯びざるをえない。つまり、(1)原発立地地域への差別性、(2)原発の下請け作業員に対する差別性、そして、(3)被害地域への差別性である。原発最大の難問である放射性廃棄物の最終処分問題も、最終処分施設の立地地域だけでなく、将来世代に大きな影響を与える。なぜなら、私たちが利便性や経済利益を追求する結果として、危険な放射性廃棄物を10万年もの長期にわたって管理する必要を生み出し、それを将来世代に委ねざるをえないからだ。著者らは、ハンス・ヨナスの「未来世代への責任」概念を媒介にしてこれを、将来世代への構造的差別と規定する。もんじゅという座礁しつつある核燃サイクル技術の延命策もまた、巨額の税金の浪費を生み続ける点で、将来世代への新たな構造的差別に他ならない。
 こうした問題を解決するには、国民投票に基づいて、一刻も早く脱原発に舵(かじ)を切るべきだと著者らは結論づける。それは、集権的な官僚統制社会から脱却し、再生可能エネルギー生産に市民が参画する、より分権的で民主的な経済社会への途(みち)でもある。脱原発だけでなく、来たるべき新しい経済社会への展望を切り開いた点に、本書の真骨頂があるといえよう。
    ◇
 さとう・よしゆき 71年京都府生まれ。筑波大人文社会系准教授。フーコーに関する著書、訳書など/たぐち・たくみ 73年神奈川県生まれ。宇都宮大国際学部准教授。ディドロに関する著書、訳書など。

関連記事

ページトップへ戻る