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ピカソ―二十世紀美術断想 [著]粟津則雄

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2016年05月01日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■遺跡発掘のように画家を照射

 著者は昭和21(1946)年、18歳のとき初めてピカソの複製画に出会う。「事件」だった。それ以来、少年はピカソに「困惑」させられ、煩わしい問題を抱え込んでしまう。
 バラバラの主題と様式をめまぐるしく展開させるだけでなく「野太い欲情」で貫く複数の「ピカソ」が、一人の若者の中で複数の問題と疑念を放散する時、彼は混乱した問いを突きつけられるが、若年期の原初的な困惑と疑問は、本書では新鮮な感性と錬磨された思考となってピカソの作品と並走しながら、まるでライブ感覚で遺跡を発掘するように光を当てていく。知っている、わかっているはずのピカソが歴史の闇の中から、新しい衣装をまとってゴーレムの如(ごと)く立ち上がってくる。そこにはかつての若者の困惑は影もない。
 「青の時代」にピカソは死のヴィジョンを体感し、「ばら色の時代」の生とエロティシズムを超越して、あのピカソ20世紀最大傑作の一つ「アヴィニョンの娘たち」に到達。それもつかの間、次々と変化変容を繰り返しながら革命的キュビスムを完成。焦点の定まらないオールオーバーすれすれの塀の上を走っていた「概念のレアリスム」から、評家の呼ぶ「総合的キュビスム」、それらを置いてきぼりに、ピカソはさらに未踏の実験と批評へと向かう。ピカソを追って著者の批評もめまぐるしく展開する。
 そしてあの神話的大作「ゲルニカ」。この作品の前では評家たちは冗舌になるが、ピカソは極めて寡黙である。著者は「(ゲルニカ爆撃という出来事は)さまざまな志向をひとつに収斂(しゅうれん)するための強固な重心」と評する。
 しかしここまでで、まだピカソの人生の半分に辿(たど)り着いたばかりだ。ピカソは伝統とカオス、悪意のオマージュ、剽窃(ひょうせつ)へとベラスケス、マネを相手に創造の性的行為の反復を重ね、最晩年の主題「画家ピカソ」を大団円に導く。ピカソは何者か。ピカソはピカソ。
    ◇
 あわづ・のりお 27年生まれ。詩人。法政大学名誉教授。『粟津則雄著作集』全11巻が今年完結。

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