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インド独立の志士「朝子」 [著]笠井亮平

[評者]中村和恵(詩人・明治大学教授・比較文学)

[掲載]2016年05月15日

[ジャンル]歴史 社会

表紙画像

■二つの故郷、手放さず生きる

 「涼しい風がそよそよと吹く頃となりました。其(そ)の後如何(いかが)で御座いますか」「ときどきはどうしてこんな見知らぬ(自分の国ながら)所へ来たかと思って淋(さび)しく思い、また思い直し」
 こんな日本語の手紙を戦後間もなく、東京の友にあてて書いたインド人女性がいた、そしていまもデリーでご健在とは。1945年、17歳の彼女が女学校をやめたのは、スバース・チャンドラ・ボース率いるインド国民軍の婦人部隊に身を投じるためだった。
 朝子ことアシャ・バーラティ・チョードリーは神戸に生まれた。公立小学校に通って日本語で学び、進学のため上京、昭和高等女学校で和歌やお習字、古典文学に親しんだ。父アーナンド・サハーイは独立運動の活動家で、「中村屋のボース」ことR・B・ボースとも親交があった。かならずしも考えは同じではなかったようだが。本書はアシャの伝記であると同時に父サハーイの伝記であり、チャンドラ・ボースの独立闘争と日本政府/軍の関係史でもある。祖国解放を切望するインド人の視点で、戦時期日本がとらえ直される。
 日本とインドが反英で手を結びインド独立を実現する、これがサハーイの願いだった。日本が対米英戦に突入すると予測した彼は、危険人物として日印で監視される自分に代わって日本の実情を伝えるべく、妻サティをインドに送りこんだこともあった(偽装離婚までして!)。しかし独立は一筋縄ではいかない。東京を出たアシャが長旅の末バンコクに着き婦人部隊で訓練を始めて間もなく、国民軍は敗退。サハーイは一時拘束され、一家が無事再会できたのは奇跡的だった。
 豆やスパイスを荻窪の家の庭に埋めて保存し、戦中もインド料理を作りつづけた母のこと。初めてのインド暮らしで勝手がわからず、笑われ、叱られた苦労。時代の波に翻弄(ほんろう)されながら、二つの故郷を手放さず生きてきたアシャの、日常の記憶が味わい深い。
    ◇
 かさい・りょうへい 76年生まれ。岐阜女子大学南アジア研究センター特別研究員。訳書に『ネオ・チャイナ』。

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