クロコダイル路地(1・2) [著]皆川博子

[評者]末國善己 (文芸評論家)  [掲載]2016年06月12日   [ジャンル]文芸 

■革命の正義が秘める暗黒面

 皆川博子の新作は、革命期のフランスと19世紀初頭のイギリスを舞台にした壮大な物語で、歴史小説としても、ミステリーとしても、幻想小説としても楽しめる重層的な作品である。
 フランスの貿易都市ナント。豪商のテンプル家に生まれたロレンスは、従兄(いとこ)で貴族の嫡男フランソワとささやかな冒険を行う幸福な少年時代を送っていた。だが、そんな毎日は革命の勃発で一変する。反革命派とみなされれば処刑される恐怖政治の嵐が吹き荒れ、ロレンスの両親と祖父は断頭台に送られた。
 同じ頃、フランソワと従者のピエールは、反革命軍に参加。革命の混乱で妹のコレットを見失った労働者の少年ジャン=マリは、革命軍の兵士として駆り出される。生き残りをかけ革命派に近付いたコレットは、ロレンスをイギリスへ逃がすためにテンプル商会の副支配人がめぐらす策略にはまってしまう。
 著者は、史実と虚構を織り交ぜながら、革命によって変転する5人の人生を丹念に追っていく。運命の糸が複雑にからまるだけに、先の読めないスリリングな展開に圧倒されるだろう。
 副支配人の協力で潜伏生活を続けるロレンスは、かつて見た“鰐(わに)”と自分を同一視し始める。夢想のなかの“鰐”は、敵から身を守る厚い皮を持ち、危険を感じれば相手を襲う強い存在とされている。これは弱肉強食の社会の象徴のように思えた。
 やがて政治に裏切られたり、持てる者に虐げられたりした主人公たちは、フランス経済の混乱で利益を得たイギリスへ渡る。そこでは、蓄積された怨念が壮絶な復讐(ふくしゅう)劇に発展する。
 個人の力では抗(あらが)えない時代の変化や、経済のグローバル化で人生を翻弄(ほんろう)されることは現代でも珍しくない。それだけに、生きのびるために、緻密(ちみつ)な計算と周到な準備で復讐を進める犯人の心境が、身にしみるのではないだろうか。
 フランス革命といえば、飢えた民衆が貴族の横暴に立ち向かったとの歴史認識で語られることが多い。ところが著者は、革命政府が没収した貴族や教会の土地を資産家が買い取ったことで、さらに格差が拡大し、自由、平等、友愛という正義を掲げた愛国者たちが、まともな捜査や裁判をしないまま、多くの市民を反革命罪で虐殺した歴史の暗黒面を掘り起こしている。
 復讐を計画する犯人は、正義の名のもとに殺戮(さつりく)が実行され、権力者が、市民を守るべき法を恣意(しい)的に変えた革命の現実に空虚さを覚え、法を超越するため“悪”に走る。正義や愛国心は戦乱を起こし、他人の自由を抑圧する危険を秘めている。主人公たちの絶望は、その普遍的な事実を教えてくれるのである。
    ◇
 みながわ・ひろこ 30年生まれ。86年に『恋紅』で直木賞、90年『薔薇忌』で柴田錬三郎賞、98年『死の泉』で吉川英治文学賞。15年には文化功労者に選ばれた。

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