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セネカ 哲学する政治家―ネロ帝宮廷の日々 [著]ジェイムズ・ロム

[評者]柄谷行人(哲学者)

[掲載]2016年06月19日

[ジャンル]歴史 人文

表紙画像

■暴君の暴走を許した賢者の悲劇

 セネカはローマ時代のストア派哲学者の一人で、多くの著作を残した。とりわけ、怒りという情念を抑制することを説いた賢人として知られている。しかし、同時に、激情が解き放たれ、自他の破滅にいたるような悲劇を書いた作家としても知られている。それはギリシャ悲劇にはないものであり、ゆえに、近世のシェークスピアらに甚大な影響を与えたのである。
 それだけではない。「哲学以外のあらゆることを放棄したまえ」と友人に書いたこの人物は、何よりも政治家であった。キリスト教を弾圧した暴君として名高いローマ帝国第5代皇帝ネロの、教師であり指南役であった。ネロを帝位につかせようとした母アグリッピナの陰謀に加担し、さらには、ネロが皇帝となったのち母を殺した事件にも関与している。また、彼は執政官という高い地位を利用して、高利貸をおこない、ローマきっての大富豪となった。そして、最後は、ネロの命令で自殺した。
 もちろん、セネカのこのような両面性については生前から非難されていたのだが、彼はそれには触れず、「賢者の恒心について」を書いて平然としていた。どうしてこんなことが可能なのか。セネカとは誰なのか。本書は、それをあらためて問い直すもので、きわめて刺激的である。これを読んで、私はこう考えた。
 ローマはシーザーなどによって領土が拡大され、もはや都市国家ではなくなっていたのに、共和政の形式を保持しようとした。「シーザー殺し」がそれを示す。その後に成立した帝政においても、皇帝は元老院主席あるいは市民の第一人者にすぎない。つまり、現に皇帝が存在するのに、それが「否認」されたのだ。否認とは、苦痛・不安を避けるために現実を認めないという心理的防衛機制である。カリグラからネロにいたる初期皇帝の時期に、途轍(とてつ)もない暴君が出現したのは、あるいは激情が噴出したのは、そのためではないか。
    ◇
 James Romm 米バード大学教授(古典学)。複数のギリシャ古典の著書があるが、本書が初邦訳。

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