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〈花〉の構造―日本文化の基層 [著]石川九楊

[評者]武田徹(評論家・ジャーナリスト)

[掲載]2016年06月26日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■漢字とひらがな、相互作用の妙

 花、はな、ハナ……。漢字、ひらがな、カタカナの三つの文字体系を併用する日本語の特性が、いかに日本文化を特徴づけてきたか。著者は日本語の成立過程を辿(たど)り、万葉集から現代歌謡まで豊富な事例を引きつつ考察を重ねる。
 たとえば〈花〉の漢字は立花を象(かたど)った「華」の略字で、西暦約五〇〇年頃に中国の北魏で使われ始めた。それが日本に伝わって[hana]の音で口にされていた言葉と出会い、音が通じる「離(はな)れる」「端(はな)」に連なるイメージを担うようになる。散華=別離に至るぎりぎりの端に咲く〈花〉の美しさを想(おも)う美学がこうして形作られる。
 日本文化を漢字とひらがなの二つの中心を持つ楕円(だえん)体とみなす視点は著者ならでは。漢字語は深まる内省を支えて宗教や哲学の語彙(ごい)となり、ひらがな語は季節と生命の移ろいに寄り添い、豊かな感情表現を可能とした。そこで漢字語の思考が膠着(こうちゃく)すると、ひらがな語が動きをもたらし、ひらがな語の過剰な流れ易(やす)さに漢字語がブレーキをかける。
 そうした相互作用のバランスを崩しかねないのが最近のカタカナ語の濫用(らんよう)だ。「クール・ジャパン」を謳(うた)って日本的なものを「ジャパネスク」と言い換えて自己陶酔に耽(ふけ)る。自分たちの生活と未来を危機に晒(さら)す企業社会を「ブラック」と呼ぶ以上の対応ができない……。明治以来、西洋語輸入の道具となってきたカタカナ語が、今や感情の劣化と思考停止を導いていないかと著者は警鐘を鳴らす。
 大学の講義を元にし、著者独特の日本文化論の真髄を優しく語りかける文体が本書の魅力のひとつだ。しかし、そこでも〈花〉を性愛のイメージに繋(つな)げて論じるエロチックな解釈が漢字仮名交じり文で書かれて上質な節度を保つなど、文字種間の相互作用こそ日本語の妙とする著者の主張が表現形式そのものを通じて示される。そうした「再帰的」構図にも注目したい。
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 いしかわ・きゅうよう 45年生まれ。書家、評論家。著書に『日本語とはどういう言語か』『近代書史』など。

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