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荒仏師 運慶 [著]梓澤要

[評者]末國善己(文芸評論家)

[掲載]2016年07月03日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■働く意味や信仰とは何か問う

 斬新かつ重厚な歴史小説に定評がある梓澤要の新作は、国宝の東大寺南大門の仁王像を快慶らと作った、仏師の運慶を描いている。
 奈良仏師の棟梁(とうりょう)・康慶の嫡男(ちゃくなん)として生まれた運慶は、源平騒乱の頃に才能を開花させる。当時は、京仏師の力が強く、奈良仏師は余った仕事を請け負うことも多かった。初めて見た鎌倉武士の屈強な体に魅了された運慶は、時代の流れをつかむため東国へ向かう。
 著者は、北条政子や源頼朝といった有名人との邂逅(かいこう)、平重衡に焼き打ちされた東大寺の再建などの歴史的な事件をからめながら、なぜ運慶が卓越した仏師になったのかに迫っていく。
 運慶の一人称で物語が進むだけに、独創的な美の世界を構築するまでの苦悩にはリアリティーがあり、作中の運慶の言動がすべて事実と思えるほどである。
 東国での運慶は、後に鎌倉幕府の重鎮となる人物との結び付きを深め、躍動感ある新様式の基礎も築く。これらの経験を生かし、運慶が当代一の仏師へと上り詰めていくところが、中盤までの読みどころとなる。
 運慶が率いる工房は、最高の材料と技術を使って次々と仏像を作るようになった。だが運慶は、弟子が作る装飾過剰な仏像に違和感を覚え始めるのである。
 権力を手にした鎌倉武士の美意識を取り入れた仏像を作り、京仏師をしのぐ存在になった運慶は、市場が求める製品を大量に販売し、世界を圧倒した日本の製造業に近い。だが日本の製造業は、いつしか消費者のニーズとの間にズレが生じ、いまや新興国との厳しい競争にさらされている。
 傲慢(ごうまん)さに気付き、仏師の原点に立ち返ろうとする後半の運慶は、近年の日本の製造業への批判のように思えてならない。
 初心に帰り、依頼主も、礼拝する人たちも救う仏像を作る理想の仏師になる道を模索する運慶の姿は、人が働く意味だけでなく、神仏とは、信仰とは何かも問い掛けているのである。
    ◇
 あずさわ・かなめ 53年生まれ。『越前宰相秀康』『捨ててこそ 空也』『光の王国 秀衡と西行』など。

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