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不審者のデモクラシー―ラクラウの政治思想 [著]山本圭

[評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)

[掲載]2016年07月03日

[ジャンル]政治 社会

表紙画像

■不確かな立場の人々つなぐのは

 エリートの手から「政治を人々の手に」取り戻す参加デモクラシー。しかし、実際にはそれは、自らの社会的な位置を自覚する理性的な個人だけのものとなっていないか。著者はそこを問題にする。
 今の社会では、人々は社会に包摂されていても、いつ排除されるかわからない不確かな立場にあり、自分のアイデンティティが定まらない。著者が「不審者」と名付ける、こうした人々の政治参加は、どうすれば可能になるのか。理論的に追究したのが本書である。
 最近の政治理論では、話し合いによる合意形成を求める「熟議モデル」と、異質な人々の間の敵対性を強調する「闘技モデル」とが競うが、実は両者共、確固たるアイデンティティの存在を前提としている。
 参考になるのは、むしろエルネスト・ラクラウの理論である。研究でも私生活でもパートナーであったシャンタル・ムフと共に、彼も「闘技モデル」と見なされがちだが、著者によればそれは誤解である。ラクラウはアイデンティティが変化する可能性を重視していたから。
 ラクラウの理論の核心には、「ポピュリズム」への強い期待がある。多義的で、しばしば否定的意味を帯びる言葉である。しかしバラバラの人々を、意味内容のない象徴によって何とかつなぎ合わせ、「人民」という政治的な主体をつくり出す役割を、ラクラウはポピュリズムに見出す。
 その背景には、故郷アルゼンチンの左派ポピュリズム(ペロニズム)の記憶と、イギリス保守派のサッチャー首相に、左派の支持基盤を侵食されたことへの反省があった。
 情念の「動員」が何をもたらすかは予測できず、各地で排外主義的なポピュリズムが目撃される今、不安も残る。しかし、対抗する側にしても、勝つためには結局、別種のポピュリズム戦略を採る以外の途はない。それが、現代政治についての著者の洞察である。
    ◇
 やまもと・けい 81年生まれ。エセックス大留学などを経て岡山大大学院専任講師。専門は政治学、政治理論。

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