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ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』―第一次世界大戦と『論理哲学論考』/ラスト・ライティングス [著]L・ウィトゲンシュタイン

[評者]武田徹(評論家・ジャーナリスト)

[掲載]2016年07月10日

[ジャンル]人文

表紙画像

■私的告白と思索の軌跡明らかに

 ウィトゲンシュタインの未刊行資料の公開が相次いでいる。
 『秘密の日記』は第1次大戦中の従軍日記を訳出したものだが、哲学的考察について書かれた部分は先に公開されており、デビュー作『論理哲学論考(以下、論考)』の草稿として分析されてきた。今回刊行されたのは、戦友への批判や性的な話題をも含む私的雑記で、暗号で書かれていたこともあり遺稿管理人が長く公開をためらっていた部分だ。
 秘匿された文書にまで研究を及ぼす。そこに偉大なる言語哲学者の実像に迫りたいと望む研究者の情熱を感じる。たとえば秘密日記に書かれた個人的な信仰告白を『論考』巻末の有名な一節「語りえぬものについては、沈黙しなければならない」と結びつけ、哲学的諸問題を終極的に解決したと宣言した『論考』の勇ましさに従軍中になじんだ「撃滅戦」のイメージが反映していると考える。
 そうした解釈は魅力的だが、ウィトゲンシュタインの理論との相性はどうか。もう一冊の新刊『ラスト・ライティングス』は彼の死後に刊行された『哲学探究』や『確実性の問題』『色彩について』に収録される断章とその予備的考察を含む最晩年の手稿集。そこには外在する言語で個人内面の心的状態を記述しようとしても不確実性を免れえない事情を考え続けた思索の軌跡が生々しく記録されている。その言語論を踏まえれば人間ウィトゲンシュタインの内面についても日記の記述から遡及(そきゅう)できるかは留保せざるをえなくなる。
 日記から人間ウィトゲンシュタインを理解すべきか。手稿から彼の理論を更に肉づけるか。二つの研究の道はいつか交わるのか。新たに公開されたテキストはウィトゲンシュタイン研究のミッシング・ピースを埋めるより、むしろ問いを増やす。その問いを考え続けられ、しかもその作業を愛せてこそウィトゲンシュタインの熱心な読者となる資格を得るのだろう。
    ◇
 Ludwig Wittgenstein 1889〜1951年。ウィーン生まれ。『論理哲学論考』は生前に出版された唯一の哲学書。

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