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スノーデン・ショック―民主主義にひそむ監視の脅威 [著]デイヴィッド・ライアン

[評者]立野純二(本社論説主幹代理)

[掲載]2016年07月10日

[ジャンル]社会

表紙画像

■自由の侵食、市民の力を弱める

 民主社会がここまで監視と親密に共存できると誰が予想できただろう。
 英作家オーウェルは約70年前の「1984年」で、監視を全体主義の象徴として描いた。主人公の男性は体制に抗(あらが)う人間だった。
 その彼もすっかり転向した社会を想像してほしいと本書はいう。今では監視される側の市民がすすんで監視に参画しているからだ。
 意識してもしなくても、私たちは日々自らの情報をネットに差し出している。親友と語らうメール、パソコンに打ち込む検索、閲覧するサイトが、誰かに心の中をさらしている。
 米国家安全保障局(NSA)による巨大監視をスノーデン氏が暴露して3年。驚くべきは当時の衝撃よりも、その後の市民生活の変化の乏しさかもしれない。
 監視に慣れきった私たちはもはや、自分の居場所を探られたくないと携帯電話を手放したりはしない。街の隅々を見張る防犯カメラを気にしたりもしない。
 9・11テロ後、各国政府は「安全」の対価をつり上げてきた。盗聴や録画はもちろん、思考にも干渉する時代だ。私たちは自分に限っては自由の侵食から無縁だろうと、あてのない思いで日々を過ごしている。
 監視の文化は、その諦観(ていかん)の中にこそ増殖している。カナダの大学で研究を続ける著者は、政府と通信企業に説明責任を求め、プライバシーを守るための市民の意識改革を訴えている。
 日本でも特定秘密保護法ができたほか、警察による携帯電話の位置情報利用や通信傍受が広がる。為政者が「国民の安全」を語る不気味さに敏感でありたい。
 ロシアに亡命中のスノーデン氏は6月、東京のシンポでネット会見した。秘密法で日本の市民の力が弱められていると語り、自分が自分だけのものである自由を守ろうと呼びかけた。
 政府はベールに覆われ、市民は裸になる。そんな管理社会が私たちの望む未来なのか。本書とスノーデン氏の問いがそこにある。
    ◇
 David Lyon カナダ・クイーンズ大学監視研究センター所長。『監視社会』『9.11以後の監視』など。

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