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大岡信の詩と真実 [編]菅野昭正

[評者]蜂飼耳(詩人・作家)

[掲載]2016年07月17日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■歴史を意識した詩人の多面性

 大岡信といえば、「折々のうた」を思い浮かべる人は多いだろう。古代から現代までの詩歌をめぐるコラム。本紙朝刊に、一九七九年から二〇〇七年まで、多少の休筆期間をおきながら連載された。その回数はじつに六七六二回に及ぶ。評釈の切り口の鋭さ、読み方の深さは、日本語による表現の豊かさを広く伝えるものとなった。
 詩と批評を中心に据えた、大岡信の多面的な仕事。菅野昭正の編による『大岡信の詩と真実』は、その一端に迫る。
 本書は詩人、俳人、批評家などによる五回の連続講座をもとに編まれている。各人各様の読み方、見方。語り口はそれぞれ違っても、どこか合流するところがあって、その共鳴が大岡信という詩人の像を、遠景に鋭く浮かび上がらせる。
 谷川俊太郎と三浦雅士の対談は、大岡と同時代を生きてきた二人の対話だけに、半世紀以上に及ぶ時間の中での展開が眺めわたされていて面白い。大岡が「歴史の中の一点」として自己を考える一方、谷川は「いま、ここの人」という認識をより強く持っているという。谷川の音楽への愛着と大岡の美術への関心という対比も見える。
 これからの文学は、「たぶん可能性としては、詩という器の方が小説より大きくなっていくのではないか」という三浦の推論が興味深い。
 吉増剛造による大岡信との対談の回想は、初期の詩「水底吹笛」や「地名論」にふれる。大岡の詩ではいつも「小さな空き地」に出会う感じがする、とその核心をまとめる。かつて編集者として大岡の全集を担当した高橋順子は、連詩の体験などを語り、大岡を『万葉集』の編纂(へんさん)者・大伴家持になぞらえる。
 野村喜和夫は「わが夜のいきものたち」と「告知」の二編の詩を分析する。後者が前者を「ある意味で批判、批評している」と指摘。深層と表層の間に立ち上がる声を追い求めることが、大岡を継承し、乗り越えていくことだと整理する。
 長谷川櫂(かい)は「折々のうた」を「勅撰(ちょくせん)和歌集に匹敵する現代の詩歌集」と位置づける。本書冒頭で、フランス文学との関係から書き起こし、大岡が『紀貫之』などの古典詩歌論へ向かった意義をいま一度強調するのは、編者の菅野昭正だ。
 私にとっては、たとえば批評の傑作『うたげと孤心』を初めて読んだときの衝撃は大切な記憶だ。人が集い、詩を作ることと、個人にとっての詩。その相克と融合を論じる生気溢(あふ)れる手法。とくに『梁塵秘抄』と後白河法皇についての論は、いま読んでも新鮮だ。いくつもの入り口を持つ大岡信の世界。入ったら出られないほど、奥は深い。
    ◇
 かんの・あきまさ 30年生まれ。文芸評論家、東京大学名誉教授(フランス文学)。本書は、館長を務める世田谷文学館で開いた連続講座をまとめたもの。著書に『ステファヌ・マラルメ』など。



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