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感じるスコラ哲学―存在と神を味わった中世 [著]山内志朗

[評者]杉田敦(政治学者・法政大学教授)

[掲載]2016年07月17日

[ジャンル]人文

表紙画像

■聖女たちの官能的な法悦の理由

 西洋の教会には、しばしば、「世俗的な人間の常識を破壊するほどの官能的な法悦」を示す聖女らの像が安置されている。信仰の場にふさわしくないとも受け取られかねない姿で。
 しかし、それらが示しているのは「神学を理解するのではなく、『感じろ』」というメッセージであり、「カトリック神学の牙城(がじょう)」であるはずのスコラ哲学には、実は人間の感覚をめぐる深い議論の流れがあると著者は指摘する。
 それが神秘主義思想の系譜である。神秘主義者は、孤独と不安の果てに、自らの魂の暗い底の部分で、神と出会い、「抑えがたい歓喜と高揚感と幸福感」を抱く「体験」を信じた。
 著者によれば、修道院製の有名ワインもあり、ワインと修道院は縁が深い。中世の修道士たちは、ワインを販売するだけでなく、大量に消費していた。聖体拝領で用いられるように、「キリストの血」として「教会の一体性を象徴」するワインを飲むのは、擬制である教会を「リアルなものとして実感する手段」だった。神秘主義的な発想からは、酩酊(めいてい)することさえ、自己を「脱却していくきっかけ」でありえた。
 教会制度の外で、個人の直接の体験によって神とつながれるとする神秘主義は、教会の役割を否定しかねないので、「宗教的権威によって忌み嫌われ」たが、底流にしっかりと生き続ける。神秘主義には「訳の分からない怪しげな宗教形態というイメージがつきまと」うが、それなしには、近代の個人主義も成立しなかったのである。
 近代哲学は、目的と手段、理性と感情、精神と身体、現在と未来といった「二項対立」で考えるが、著者によればスコラ哲学はそうした発想を採らない。「常に途上にある存在で完成を目指して生成しつづける存在」として人間をとらえ、近代が軽視する感情や身体の意味に注目する。中世哲学のもつ可能性を肌で「感じる」一冊である。
    ◇
 やまうち・しろう 57年生まれ。慶応大学文学部教授。著書に『天使の記号学』『小さな倫理学入門』など。



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