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丹下健三―戦後日本の構想者 [著]豊川斎赫

[評者]武田徹(評論家・ジャーナリスト)

[掲載]2016年07月17日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能 新書

表紙画像

■国家を描いた構想力とその呪縛

 丹下健三の戦後は被爆した広島の復興事業への参画から始まった。平和国家建設の象徴となる広島平和記念公園を作り上げ、以後も東京五輪、大阪万博など国家的イベントに深く関わった。本書はそんな丹下のキャリアと戦後日本の歩みを重ねて論じる。
 建築家の域を超え、都市と国家のデザイナーたらんとした丹下は1961年に「東京計画1960」を発表。東京湾を横断する線形の人工都市を建設し、経済成長期に首都圏に流入する過大な人口を柔軟に受け止め、更なる高度成長の孵化(ふか)器ともする提案をした。
 この壮大な構想は実現されなかったが、四半世紀後に「東京計画1986」として部分的に蘇(よみがえ)る。都は丹下案を下敷きに湾岸の埋め立て地を国際都市化する「東京フロンティア」計画を策定。だがそれはシンガポールの国際金融都市の後追いであり、日本社会は丹下の作る「器」に独創的内容を盛る力をもはや失っていた。
 それでも開発願望は成仏せず、2020年五輪開催に向けた昨今の臨海再開発に受け継がれている。著者がいうように「われわれの構想力は丹下の『東京計画1986』から一歩も外に出られていない」。「戦後日本の構想者」の称号は丹下の偉大さを示すと同時に彼を超えずには「ポスト戦後」に踏み出せない呪縛をも意味する。
 本書が丹下研究室出身の建築家に注目するのは弟子たちの「父殺し」の軌跡を辿(たど)り、ポスト丹下の道を探るためだ。たとえば浅田孝は丹下以上に大きな時空間スケール内に建築を位置づけ、大谷幸夫は逆に一人の市民、一つの家族から建築をデザインしようとした。
 とはいえ丹下学派(シューレ)の建築家は、実は最盛期の師が宿していた指向を育て、開花させたのだと著者は考える。弟子たちのそれぞれに個性的な活動越しに「現実の丹下健三」の限界を超えてゆく「丹下健三の可能性」を見る。本書はそんな視力の必要性を示す。
    ◇
 とよかわ・さいかく 73年生まれ。建築家、建築史家。著書に『群像としての丹下研究室』など。



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