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イエスの幼子時代 [著]J・M・クッツェー

[評者]星野智幸(小説家)

[掲載]2016年07月24日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■善意だけの静かな国、その恐怖

 世界の酷薄さと暴力性を最も知悉(ちしつ)している作家クッツェーの、驚異的な新作。あまりに面白すぎて、作品世界から戻れずにいる。
 いわゆる近未来もの。ノビージャという国は、過去を捨て新しい人生を始める人たちが集まっている。皆、本当に過去の記憶をなくし、新しい名前を持ち、公用語のスペイン語を話す。ノビージャに着いたばかりの中年男シモンは、船で知り合った孤児の男の子ダビードの母親を探すことを、新生活の目的としている。
 この設定を、難民や移民の置かれた状況と読むこともできるが、シンプルかつ矛盾だらけのこの小説は、一筋縄ではいかない。
 ノビージャは妙に社会福祉が整っていて、シモンは船の荷揚げの仕事に就き、楽ではないけれど堅実な暮らしを手に入れる。しかし、会う人会う人が「実にきちんとしていて親切で、善意にあふれている」ことに違和感を覚え、「まるで生気がない」と苛立(いらだ)つ。
 シモンは偶然目にしたイネスという若い女性をダビードの母親だと直感し、母親になるよう頼む。イネスもなぜかこの突飛(とっぴ)な説得を受け入れ、奇妙な擬似(ぎじ)家族生活が始まる。イネスの過保護な溺愛(できあい)が深まるころ、ダビードもその才気走った型破りな性格を露(あら)わにし、三人は社会と衝突する。
 ノビージャの住人は、余暇の自分磨きに余念がない。市民講座に通い、哲学を学んだりする。この小説は全編、哲学的な対話だらけなのだが、これがすれ違いだらけで抱腹絶倒。
 「歴史」とは作り話で「現在」しかないと考えるノビージャ住民から見れば、シモンは「過去があった」という幻想に縛られる不自由な存在だ。穏やかで融和的な社会で無理せずに生きていけば、安心して暮らせるのに、過剰な三人ははみ出していく。笑いに満ちたドタバタ劇を読んでいたはずが、気がつくと私は底なしの恐怖に震えている。善人だけの社会が何を殺しているのか、知ったことで。
    ◇
 J.M.Coetzee 40年、南アフリカ・ケープタウン生まれ。03年にノーベル文学賞。『マイケル・K』『恥辱』。

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