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三島由紀夫 幻の皇居突入計画 [著]鈴木宏三

[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)

[掲載]2016年07月24日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■理想としての天皇を守るとは

 1960年代後半は、学生運動が高揚した時代だった。68年10月21日の国際反戦デーで騒乱の巷(ちまた)と化した東京を見た三島由紀夫は、その1年後に同様の光景が再び現れ、自衛隊が治安出動することを期待した。だが実際には68年ほどの騒乱にはならず、治安出動もなかった。これが三島にとって重大な挫折を意味したことは、自決した70年11月25日に撒布(さんぷ)された檄文(げきぶん)にも書かれている。
 しかし本書によれば、檄文に書かれていない計画があった。69年10月21日に治安出動があった場合、三島は自分がつくった楯(たて)の会の会員や自衛隊の一部と連携して、国立劇場から半蔵門を抜け、皇居に突入しようとしたというのだ。
 資料が少ないなか、楯の会の関係者にも取材しながらここまで大胆な仮説を導き出した著者の推論は読みごたえがある。ではなぜ、三島は皇居に突入しようとしたのか。著者は、三島自身の天皇に対する文学的な見方にその理由を探ろうとする。三島は昭和天皇という現実の天皇、すなわちザインとしての天皇を否定することで、三島自身が理想とする天皇、すなわちゾルレンとしての天皇を絶対視しようとしたからではないかと推理するのだ。
 しかし、これだとまるで天皇を暗殺するテロを計画していたようにもとれてしまう。本書では触れていないが、三島は66年1月8日に長編小説『豊饒(ほうじょう)の海』の取材のため、乾門(いぬいもん)から皇居に入り、天皇が祭祀(さいし)を行う宮中三殿を初めて見学している。そしてその感激を、ドナルド・キーンに「平安朝の昔にかへつた気がしました」と伝えている。この事実は重要である。
 宮中三殿は、乾門よりも半蔵門の方が近い。もし三島が本当に皇居突入を考えていたとすれば、真っ先に目指そうとしたのは宮中三殿ではなかったか。著者にならっていえば、それこそがゾルレンとしての天皇を守るための究極の手段と考えられるからである。
    ◇
 すずき・こうぞう 45年生まれ。山形大学名誉教授(英文学)。兄・鈴木邦男氏の影響で三島事件に関心。

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