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金日成と亡命パイロット [著]ブレイン・ハーデン

[評者]市田隆(本社編集委員)

[掲載]2016年07月31日

[ジャンル]歴史 社会

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■共産主義者演じ生き残った兵士

 朝鮮戦争が休戦した直後の1953年9月21日。北朝鮮軍パイロット盧今錫(ノクムソク)が、ミグ15ジェット戦闘機で北緯38度線を越えて韓国の金浦基地に着陸、米国への亡命を求めた。米国人ジャーナリストの著者は、歴史に埋もれたこの亡命劇の主人公に光をあてた。彼の半生と金日成(キムイルソン)の権力掌握の軌跡を対比させながら、不毛な戦争の意味を問い直すノンフィクションだ。
 朝鮮の日本企業で働いていた父を持つ盧は、「敵対階層」に分類されるため、その素性を隠して北朝鮮軍に入った。米国での生活にあこがれ、共産主義を嫌悪していたが、処遇の不満を漏らしただけの同僚が処刑される過酷な環境の中で、「熱心に共産主義者を演じ」ることで生き残りを図った。訓練不足で実戦経験に乏しい北朝鮮人パイロットは、米軍機に撃墜される危険性が高く、常に死と隣り合わせの日々だった。
 兵士の苦悩をよそに、開戦を決断した金日成は、権力失墜の危機に度々陥りながら、北朝鮮を支援する中ソとの交渉でうまく立ち回った。自己宣伝に努める一方で、「戦時中に人民を困窮させ多くの犠牲者を出した戦略について」「何の責任も取らなかった」と、著者は厳しく批判する。
 さらに、本書には「戦争時におけるアメリカ空軍による空爆のひどさを伝える」意図がある。「アメリカ軍は朝鮮戦争で三万二〇〇〇トンのナパーム弾を落とした。それは一九四五年に日本に落とした量の二倍」。中国軍参戦で劣勢となった米軍は焦土作戦に転じ、多数の民間人が犠牲となった都市爆撃を繰り返した。爆撃への怒りが広がり、金日成の権力確立を手助けする結果となったのは歴史の皮肉だ。
 民衆の犠牲を省みない、中ソを含めた大国の身勝手な思惑と、金日成の権力への執着に振り回された戦争の実相が、兵士の視点を盛り込むことで見えてくる。南北分断の悲劇を改めて実証的に考えさせる好著だ。
    ◇
 Blaine Harden ジャーナリスト。52年米国生まれ。ワシントン・ポスト東アジア支局長など歴任。

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