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ヘンリー・キッシンジャー「国際秩序」書評 自制、力、正統性の釣り合いを

評者: / 朝⽇新聞掲載:2016年08月28日
国際秩序 著者:ヘンリー・キッシンジャー 出版社:日本経済新聞出版社 ジャンル:社会・時事・政治・行政

ISBN: 9784532169763
発売⽇: 2016/06/01
サイズ: 20cm/477p

国際秩序 [著]ヘンリー・キッシンジャー

 国際政治学者キッシンジャーの基本的な歴史観・世界観を凝縮した研究書である。フォード政権で国務長官も務めたのだから、その理論は現実の中で応用、援用あるいは微調整されていたことも窺(うかが)える。加えて本文中にはわずかとはいえ、「私は」という主語のもとで自らの出自や生育時の歴史的環境も語られていて、それが論の裏打ちの役割も果たしている。
 人類史はこの数世紀、どのような国際秩序をつくろうとしてきたのか、それぞれの地域の特性はどう生かされたのか、政治家や外交官、戦略家たちはどういった思想・哲学のもとで動いたのか。それらを実証していくわけだが、これには幾つかの尺度や教理が必要である。
 著者はその教理のひとつにヴェストファーレン(ウェストファリア)条約を挙げる。「(この条約は)世界中にひろまっている新しい国際秩序の概念の先駆けとして、格別な共鳴を得ている」と高い評価を与えている。公式の会議や首脳同士の会談から秩序が生みだされたわけでなく、紛争や戦争が起こったら当事者が真摯(しんし)に話し合い、和平の秩序をつくりあげるシステム。1618年から48年までの三十年戦争を終結させるために、ドイツのヴェストファーレンの町に当事者が集まり、戦闘は続いているのに、とにかくその妥協点(キリスト教世界の平和)を求めて和平条約をまとめあげる。ここに、ヨーロッパの秩序の基礎単位は国家であり、国家の主権という概念が生まれた。
 この条約に至るプロセスに、世界秩序づくりの知恵があった。18、19世紀の人類史は秩序(つまり国際社会の枠組みと自国の位置)を求める戦いだった。フランス革命とその後の啓蒙(けいもう)思想の絶頂期、ウィーン会議時の最強国ロシアの発想、国民国家誕生とナショナリズム、戦略家が欠けた第1次世界大戦の不幸な戦争内容、ヴェルサイユ条約の歪(ひず)みで民主主義の秩序が解体していく道筋、現在、ヨーロッパ自体が宙に浮いた存在になっているとの分析、イスラムの台頭、それらを詳述しながら、著者はアジアにこそヴェストファーレン条約の影響が色濃く残っていると説く。
 中国やインド、日本のこの2、3世紀の動きを見つめながら、これらの国に欠けている点や、秩序をつくりえない歴史上の背景も描いている。「秩序はつねに、自制、力、正統性の微妙な釣り合いを必要」と理解する政治家が望まれる、との見方は鋭い。全体に、新しい秩序づくりにアメリカの果たす役割が大きいことが巧みに論証されている点に、抵抗を覚える向きもあるだろう。だが、その本質は理論と実践の合一である。
    ◇
 Henry Kissinger 23年生まれ。ドイツ出身。ナチスの迫害を逃れて米国亡命。ニクソン政権の国家安全保障問題担当大統領補佐官、フォード政権の国務長官。73年にノーベル平和賞。著書『外交』など。