ボクシングと大東亜―東洋選手権と戦後アジア外交 [著]乗松優

[評者]武田徹(評論家・ジャーナリスト)  [掲載]2016年08月28日   [ジャンル]歴史 人文 

■「熱狂」が崩した国交断絶の壁

 第2次大戦後、フィリピンの対日感情は極めて悪く、2国間の交渉は難航した。だが、国交断絶中の1952年からボクシング東洋選手権が始まり、日本人とフィリピン人選手の王座決定戦が両国のファンを熱狂させる。54年には日本政府の賠償交渉に一切応じなかったフィリピンのマグサイサイ大統領が遠征中の日本人選手を官邸に招き、歓迎してもいた。
 日比国交正常化に先駆けて民間交流を実現させた東洋選手権とは何だったのか。本書は関係者の足跡を辿(たど)る。興行師は裏社会に繋(つな)がり、公職追放が解けた国士たちが蠢(うごめ)く。スポーツ興行をテレビ普及に利用した正力松太郎の思惑も働いていた。こうしたクセのある人々の動向を著者は丁寧に調べ、証言を集めた。
 中でもフィリピンの英雄フラッシュ・エロルデと名勝負を繰り広げた故・金子繁治への聞き取りは本書の白眉(はくび)だ。ファイトマネーを孤児院建設等につぎ込むエロルデを同じキリスト教徒として金子は敬い、親交を結んだ。そしてひとたびゴングが鳴れば、神の与え給(たも)うたボクシングという天職を互いに全うすべく、全力で打ち合ったのだという。
 その証言は当時のファンの心境を理解させてくれよう。我執を超えた二人の戦いの清々(すがすが)しさにファンは魅了され、熱狂したのだ。
 54年に東洋ボクシング連盟が設立された時の参加国は日本とフィリピン、タイだけ。「東洋」は興行の価値を高めるために用意されたフィクションだった。だが「東洋一」を懸けて戦うボクサーがもたらす感動は本物であり、それが日本のアジア回帰へ道を開いた。
 本書はボクシングに熱狂した時代と社会を生き生きと描くルポルタージュ的な性格と情報や資料の出所を明記しつつ議論を積み上げる学術書の体裁を兼ね備える。訴求力ある表現と調査研究の公共性を両立させた新しいアカデミック・ジャーナリズムの書き方を示した点でも評価できよう。
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 のりまつ・すぐる 77年生まれ。関東学院大学兼任講師(スポーツ社会学、カルチュラル・スタディーズ)。

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