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翻訳出版編集後記 [著]常盤新平

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

[掲載]2016年09月04日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■読者得る喜びも失敗も哀歓こめ

 翻訳出版が中心の早川書房の編集者として10年、翻訳家としての10年、その体験を生かして書きあげた翻訳業界内幕の書。1960年代、70年代の翻訳事情が明かされる。
 翻訳にたずさわる会社、編集者、そして翻訳家の間には強い仲間意識があるらしい。時間と能力を必要とする作業に勤(いそ)しんでも1冊の印税が10万円を超えることはほとんどない時代(印税ならまだいいほうで翻訳料は買い上げ)、「翻訳者はひとにぎりの人たちを除いて、みんな貧しかった。(略)早川書房だって貧しかったのだ」と著者は書く。翻訳ものは10点のうち1点売れればいいほうで、逆にわずかな部数を大切にした時代、著者にはしだいに「翻訳哲学」が確立していく。
 人と人との出会い、ニューヨークに赴いての有名作家と出版人とのふれあい、そして自ら版権を獲得した本が読者を得ることの喜びなどを通じて、著者が到達したのは「翻訳というのは結婚ではないか」との心境という。作品は、訳者しだいで良くなったり、劣悪になったりもする。
 著者自身、『ゴッドファーザー』を読んでハヤカワ・ノヴェルズに入れたいと思う。会社を説得して版権をとる。長尺ものだから翻訳も大変だったのだろうが、マフィアものが日本で売れることを実感する。ハヤカワ・ミステリを軌道に乗せるも、雑誌「ホリディ」を創刊し1号で廃刊するなど著者の成功話、失敗話などを織りまぜながらの記述には哀歓がある。翻訳家から直木賞作家へと、その哀歓とアメリカ文化への憧憬(しょうけい)は生かされる。
 著者がさりげなく書いているエピソードが興味深い。アメリカでは700頁(ページ)余の書でもベストセラーになるとか、ある作家は4年先にさわがれるであろう事象を想定して書くとか、はては日本では老人の言を「わしは……じゃ」と訳す安易さなど、40年後の今も変わらないのではないか。
    ◇
 ときわ・しんぺい 1931〜2013年。翻訳家、作家。訳書『夏服を着た女たち』、著書『遠いアメリカ』など。

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