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「ピカソになりきった男」書評 贋作、本物、それほど重要か?

評者: 横尾忠則 / 朝⽇新聞掲載:2016年10月23日
ピカソになりきった男 著者:ギィ・リブ 出版社:キノブックス ジャンル:エッセイ・自伝・ノンフィクション

ISBN: 9784908059452
発売⽇: 2016/08/01
サイズ: 19cm/254p

ピカソになりきった男 [著]ギィ・リブ

 娼館で生まれた俺は子ども時代、リヨンで路上生活をしていた。周りは悪ばかりだった。俺は刑務所行きの運命にあると思われていた。取りえは独学でモノにした絵くらいだ。一貫性のない、なんでもありの。そのためには片っ端から美術書を読破、作家と同一化できるほど勉強したさ。自分の絵よりピカソに取り組む自分を想像して興奮したものだ。性格もモラルも路上生活が財産で、贋作(がんさく)が悪い?なんて、思ったこともないね。
 俺には仲間がいた。贋作の天才への道を切り開いてくれるやつさ。手始めにシャガールに挑戦。あっという間に30枚のシャガールが完成。完売だ。夢を見ているようだったね。20世紀を代表するアーティストに追いつく画家になっていたんだから。
 正真正銘の贋作作家になるための俺の修業は禅僧か錬金術師か魔術師か、それともペテン師、それ以上の超越的存在としての精神と魂を磨き上げながら偉大な画家と同等のレベルに達していた。それが他人になるための修業と悟性さ。もし画家が10点描いたとすると、11点目を作ることだ。その画家のように考え、その人物を演じ、他人に転換し、滅私する瞬間が不可欠だ。そのためには技術も、習得した知識も全て忘れる必要があった。そして贋作が完成すると、完全犯罪の痕跡を消すために、証拠物件は全部壊したよ。
 制作時、俺は空っぽになって、魔法の手になったような神秘体験をした。ピカソが俺の指に憑依(ひょうい)して一緒にいるようだった。まるで時を旅しているようになった。本物であろうと贋作であろうと創作には違いないんだから。
 巨匠たちも修業時代、他人の作品を模写したり贋作も描いたりした。それが他人の作品との区別もつかず作家不明のままどこかに存在しているぜ。「ひとりの人間がこれほど完全に他人を真似(まね)ることができるとしたら、自然の力を超えている」とイタリアの画家ヴァザーリも言ったものさ。本物、贋作がそれほど重要な問題だろうかね。
 やがて俺と組んでいた2人の仲間が突然、死を迎える。贋作は俺を少しずつ変え、賭けはだんだん危険なものになっていった。仲間を失い、やがて贋作のキャリアに終止符が打たれた。
 売らなきゃ贋作でも罪にならない。また贋作者の署名が入れば合法だって? ピカソは、画家とは「自分が好きな他人の絵を描きながら、コレクションを続けたいと願うコレクターのこと」と言明する。俺の書評をするYの出発も贋作だという。
 いつか芸術の意味も拡散して芸術の居場所もなくなるさ。デュシャンの便器にそのヒントがありそうだよな。
    ◇
 Guy Ribes 48年フランス生まれ。絹織物デザイン工房の職人などを経て水彩画家に。84年から本格的に贋作を始め、2005年に逮捕。有罪判決で執行猶予に。