父母の記―私的昭和の面影 [著]渡辺京二

[評者]保阪正康(ノンフィクション作家)  [掲載]2016年10月23日   [ジャンル]

表紙画像 著者:渡辺 京二  出版社:平凡社

■愛惜込め、家族の実像赤裸々に

 著者は、近代日本の土着空間を見続ける文筆家だが、その土台にある自らの家族共同体の実像を赤裸々に読者に示した。生を持続させる間、その実像を語らずにはいられないとの衝動が本書を貫く芯である。
 本書のタイトルにもなっている一編「父母の記」は、老いの心境で父母とはどのような存在であるのか、を愛惜を込めて振り返る。外に隠し女を持つことを何とも思わない映画の弁士であり、興行師でもある父、すでに芸者に子供を産ませていたのを承知で、その父と結婚した母、その葛藤の日々の中で義兄と二人の姉(次姉は病死)と著者は育っていく。北京、大連、そして熊本での生活。著者自身、旧制五高時代に結核にかかる。4年半の療養期など自らを育んだ環境を語りつづける。父は独自の人生観を持ちつつ外の女性のもとで過ごし、家に帰っても長居はしない。父不在の家庭で母や姉たちと過ごす幼年期、少年期にしだいに根づいたのは冷めた心理とどのような現実にもたじろがないという精神だった、との読後感がわく。
 青年期、文学者を目ざし、思想運動にも関わりをもったとの告白もある。母の著者への愛情の底に「尊敬に値する」夫像を求める姿があったのではと気づくエピソード、そして臨終の枕辺で、その母が「愛しています」とつぶやく話。「可愛らしい声だった。私は愕然(がくぜん)とした」と著者は書き、「結婚し立ての若き父に向かって」夢うつつにつぶやいたのだろうと想像する。老いの今、自分も父の性格に似ている点が少なくないとの表現で、「父母の記」は筆を止めている。
 本書はこのほかに著者自身が、「日本読書新聞」の編集者として影響を受けた吉本隆明、橋川文三を含め4人の人物論も収めている。彼らへの畏敬(いけい)の姿勢が著者の歴史や状況と向きあう真摯(しんし)さを生んだ。
 一人の文筆家が、いかなる精神遍歴を経て誕生するのかを明かした書である。
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 わたなべ・きょうじ 30年生まれ。思想史家。著書に『北一輝』『逝きし世の面影』『黒船前夜』など。

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