どうぶつのことば―根源的暴力をこえて [著]鴻池朋子

[評者]大竹昭子(作家)  [掲載]2016年10月30日   [ジャンル]アート・ファッション・芸能 ノンフィクション・評伝 

表紙画像 著者:鴻池 朋子  出版社:羽鳥書店

■現代社会揺さぶるアートの力

 特異な本である。一言では括(くく)れない。でも、その説明不可能さこそが本書の本質だ。
 著者は動物をモチーフにした作品で知られる美術家。東日本大震災を境に自分の作るものにまったく興味が持てなくなるという体験をする。子どものころから「動物に対しては全開していて、危ういほど境界」がなく、想像力を駆使して描くのに苦労はなかった。苦しいのはその説明を求められたとき。「現代美術という狭い枠組みでは、自分の中の動物との関係は隠しておいて、護(まも)りたかった」
 だが大地震により、その覆いがはぎ取られてしまう。自分の内部にあるイメージを広げてくれるのとは異なる、「私を突破し」「二度と表現することなどできない極限へと、私を押しやろうとする」力と遭遇する。それを彼女は「想像力」と呼ぶが、その力に打ち勝って作品を表出する蓄えがないのを自覚、制作から手を引いて旅にでた。本書はその四年半の記録である。
 土地の女性たちに聞いた話を絵にしたり、土をこねて焼いたり、皮に描いたりと、表現意識を放棄した物づくりの原初にもどる。どれも着地点の見えない、美術界の制度に護られていない行為であり、自分の思う美術館を探したら雪に閉ざされた山小屋に行き着いたこともあった。そこに皮に描いた絵を設置したときの「観客は人間ではないのかもしれない」というつぶやき、作品の表面が氷結した興奮、小屋からそれを運び出したときの「ほがらかな気持ち」など、人間中心の美術を超えようとする言葉に力がこもる。
 こうした体験を経ておこなわれた教育学、考古学、美術批評、おとぎ話研究などの専門家との対話も興味深い。他者の言葉を借りなくてはどうにもならないという切実さに突き動かされての行動だから、飛び出す言葉がとびきり新鮮なのだ。
 そうやって表現の極限まで追いつめながらも、描くことを止(や)めず創作に戻ってきたのはなぜか。それは既存の言語では解釈できずとも、言葉になろうとして蠢(うごめ)いているものが居る領域を絶えず訪れることができる手応えを、描く行為が与えてくれるからなのである。
 窓のない細いビルに閉じ込められ、専門化の名のもとに全体の見えない作業に追われる。そんな現代社会を揺さぶる頼みの綱は、もうアートだけなのかもしれない。「だらしないほど入口も出口も開けっ放し」で、常に専門性をくつがえし、「人間の一個の閉じた肉体という世界の拘束」から私たちを解放し自然へとつなげる。アートの底力に期待せずにはおれない時代の瀬戸際に、私たちは立たされているのだ。
    ◇
 こうのいけ・ともこ 60年生まれ。美術家。絵画、彫刻、絵本など多様な手法を用いたインスタレーションで発表、国内外で展示。著書に『焚書 World of Wonder』『根源的暴力』など。

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