昭和天皇実録 第七、第八、第九 [編]宮内庁

[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)  [掲載]2016年11月06日   [ジャンル]歴史 ノンフィクション・評伝 

表紙画像 著者:宮内庁  出版社:東京書籍

■戦争中の行動を逐一伝える

 2015年3月から刊行が始まった『昭和天皇実録』は、今年9月までにようやく9冊分が刊行された。そのうちの第七、第八、第九は1936年から45年までに当たり、日中戦争と太平洋戦争の時期の昭和天皇の動きを逐一知ることのできる記録となっている。
 それだけではない。香淳皇后や皇太后節子(さだこ)(貞明皇后)、秩父宮夫妻、高松宮夫妻、三笠宮夫妻など、天皇にしばしば会っていた皇族の動きも記されている。例えば、一般の娯楽が制限されるこの時期、宮中では45年7月28日に映画「最後の帰郷」を皇后とともに見るなど、天皇がいつどういう映画を誰と見ていたかがわかるのだ。
 私が注目したのは、皇后と皇太后の動きである。映画鑑賞のように、天皇が皇后と行動をともにしている場合、本書には「皇后と共に」と記されている。しかし天皇が戦地から帰還した軍人と会う場合、「皇后と共に」と記されることは皆無に近い。この時期の皇后は、軍事的な情報を天皇と共有することがなかったと推察される。
 日露戦争の際には、明治天皇ばかりか皇后(昭憲皇太后)も戦地から帰還した軍人に時々会い、戦況の報告を受けていたことが『明治天皇紀』などからわかっている。それに比べると日中戦争や太平洋戦争では、天皇と皇后の役割がよりはっきりと区別され、香淳皇后は政治や軍事から遠ざけられたのだ。
 だが、皇太后節子はそうではなかった。宮内公文書館所蔵の「貞明皇后実録」を見ると、皇太后は38年1月から45年7月にかけて、住んでいた大宮御所で戦地から帰還したおびただしい数の軍人に会い、銀製の煙草(たばこ)箱やカフスボタンなどを与えていたことが確認できる。その多くは、本書にも名前の出てくる軍人である。
 本書には、昭和天皇が何月何日何時にどの軍人と会ったかがすべて記されている。そのほとんどは午前である。「貞明皇后実録」の記述と照合することで、同じ軍人が同じ日の午後ないし翌日以降、大宮御所にも行って戦況を報告していたことが見えてくるのである。
 戦中期の天皇の背後には皇太后がいた。本書では、45年7月30日と8月2日に九州の宇佐神宮と香椎宮で勅使が「敵国の撃破と神州の禍患の祓除(ふつじょ)」を祈っていたことが初めて明らかにされた。なぜ伊勢神宮ではなく、宇佐神宮と香椎宮だったのか。そこには天皇ではなく、両神社の祭神である神功皇后に思い入れをもつ皇太后の意向が働いていなかったか——本書の記述を丹念に追い、他の文書と照合することで、全く新たな昭和史を描くことも不可能ではない。
    ◇
 昭和天皇実録は、宮内庁書陵部編修課が1990(平成2)年4月から編修作業を行い、2014(同26)年8月に完成させた。実録全文を18冊にまとめ、新たに索引1冊を作成して、刊行中。

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