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ミクロストリアと世界史―歴史家の仕事について [著]カルロ・ギンズブルグ

[評者]中村和恵(詩人・明治大学教授・比較文学)

[掲載]2016年11月06日

[ジャンル]歴史 人文

表紙画像

■問いに固執せず、代弁もしない

 ミクロストリア、英語ではマイクロヒストリー。粉挽屋(こなひきや)の異端審問記録から十六世紀イタリアの農民文化に光を当てた『チーズとうじ虫』(一九七六年)で、ギンズブルグはこの語を世に知らしめた。半世紀にわたる研究の現在を示す最新論考集には、一貫した方法論を持ちながら変化する歴史学者の足どりが見える。
 冒頭のオランダ東インド会社勤務のスイス人ピュリによる十八世紀の小冊子の分析は、ミクロストリアの簡潔な好例だろう。南北緯度三十三度付近にある土地の植民地化をピュリは主張する。その理由を追ってテキストの細部に潜っていく歴史家は、西洋諸語の膨大なアーカイブに入りこみ、聖書や同時代の著作に過去の思考の跡をたどる。
 つぎつぎに示されるテキストを追う読者は、論考の終盤でふと顔を上げ、自分が異民族侵略を正当化するための聖典曲解という、大きな暗闇の前に立っていることに気づく。一個人、一地方の小宇宙を顕微鏡的に調べあげるミクロストリアの手法で、ギンズブルグはグローバル化する世界の現状に接近を試みるのだ。
 つづく「世界を地方化する——ヨーロッパ人、インド人、ユダヤ人」では、古代への関心と呼応し合うオリエンタリズム、「わたしたちの言葉と彼らの言葉」では、魔術裁判の犠牲者に共感しながら裁判官に近づいてしまう研究者という立場の問題、「ヴァールブルクの鋏(はさみ)」では、「原始人」の感情がとりあげられる。それらに共通する、いかに異文化を理解しうるのか、という問いは、急激な混淆(こんこう)・同質化・反撥(はんぱつ)の渦中にあるいまの世界を、歴史家はどのように語りえるのか、という問いにつながっている。
 ただ複数の知見を集積しても、世界を語ることはできない。自分の問いに固執してはいけない、しかし他者になりかわって語ってもいけない。つまり自分を育んだ文化と、異質な文化の「間」こそ、歴史家が立つべき場所だと彼はいう。
    ◇
 Carlo Ginzburg 39年イタリア生まれ。歴史家。『神話・寓意・徴候』『糸と痕跡』など。

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