洗礼ダイアリー [著]文月悠光

[評者]大竹昭子(作家)  [掲載]2016年11月06日   [ジャンル]文芸 

表紙画像 著者:文月 悠光  出版社:ポプラ社

■自意識を振り払う、詩人の挑戦

 初対面の人が「音楽やってます」と自己紹介したら親しみを持つけれど、「詩を書いてます」だったら一瞬、言葉に詰まるかもしれない。繊細で独りの世界にこもりがち、というのが詩人のイメージだから。
 本書は最年少で中原中也賞を受賞した著者の初エッセイ集。十八歳の詩人に世間は「早熟」というイメージを当てはめた。たしかに作品には十代の女性の身体感覚が鮮烈なイメージで綴(つづ)られているが、現実の自分は未熟だとわかっている。不器用で、臆病で、野暮(やぼ)ったくて、特異な体験なんかひとつもない……。
 あなたの朗読にはエロスがない、最近セックスしてる?と初対面の男性に訊(き)かれたという話にはびっくりだが、これも詩人が傷つきやすい人種と見なされている証拠だろう。言葉が突き刺さるとわかっているから、そそられる。しかも彼女は恋愛べたで、その言葉はダブルパンチなのだ。
 「詩になるような『すてき』な恋愛は一つもしていないんだ。『きゅんと』することより、異性を前にオロオロすることの方が多いんだ」
 若さゆえの自意識と、世間に流布する「詩人キャラ」がもたらす自意識という、二枚重ねの不自由を振り払うこと。いまの自分にはそれが必須だと痛感し、慣れ親しんだ詩作ではなく、エッセイの執筆という未知の行為に挑戦したのだ。詩の世界が「自己愛に満ちた妄想世界」になりがちなのを、そこに逃避しようとする自身の弱さを充分(じゅうぶん)すぎるほどわかっているのである。
 自分のことを書くのは簡単なようでいて、むずかしいものだ。ダメな「私」を書けば書くほど自己愛に傾いてしまう。反省文でもなく、自己肯定文でもなく、未来の自分にむけての応援文にできるかどうか。本書の尊さはそこにある。エッセイなんて「挑戦不可能」と思い込んでいたゆえに、言葉の端々に緊張感がほとばしりでる。
    ◇
 ふづき・ゆみ 91年生まれ。高校3年生の時に出した第1詩集『適切な世界の適切ならざる私』で中原中也賞。

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