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最後の秘境 東京藝大―天才たちのカオスな日常 [著]二宮敦人

[評者]五十嵐太郎(建築批評家・東北大学教授)

[掲載]2016年11月06日

[ジャンル]人文 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■奔放な求道者たちの鍛錬と不安

 個人的な話だが、両親と妹が東京藝大(げいだい)の卒業生という特殊な4人家族で育ったために、この学校は身近な存在だった。大学の様子はだいぶ理解しているつもりだったが、それでも東京藝大の全学科を取材した本書で初めて知ることが多かった。道路で隔てられた美術学部と音楽学部はまるで世界が違うのだが、両分野を一緒に扱う本書は貴重だ。
 小説家の著者は、妻が現役の藝大生。普段から何でも手を動かして作ってしまう妻の習性に興味をもち、それを契機に素人の視点からワンダーランドをノンフィクションとして描いている。初歩的な質問からインタビューを始めることで、それぞれの学科の特徴や強烈な個性が浮かびあがるだけでなく、全体を通して読むと、今度は同じ東京藝大ながら、ライフスタイルや創作の現場に驚くべき多様性があることに気づく。
 自分は他大の建築学科で学び、働いているので、東京藝大の同学科も似ているのがわかるのだが、好奇心あふれる著者から見ると、模型づくりで泊まり込みが当たり前という状況は、外から見るとかなり風変わりなのだと思い知らされる。本書は教員を取材せず、学生の声だけを拾うことで、将来がまだ約束されていない天才の卵たちの自己鍛錬と不安の日常生活をうまくとらえている。なにしろ卒業生の半分近くが「行方不明」になるという。
 ある意味で「無駄なものを作る」美術、「生きていくうえでなくてもよい」音楽。そんな本音も語られるが、制作や演奏が人生そのものになった求道者が集まるのが藝大だ。ゆえに、創造や表現とは何かを考えさせる本でもある。すぐ社会に役立つかという指標だけで大学が計られようとしている現在、数値に換算できない豊かさを人類の歴史に与えてきた藝術の学校は、その奔放さを笑いとばして終わりという対象ではない。ひるがえって「普通」の価値観を問いなおす存在なのだ。
    ◇
 にのみや・あつと 85年生まれ。09年、短編集『!』でデビュー。『最後の医者は桜を見上げて君を想う』など。

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