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煉獄と地獄―ヨーロッパ中世文学と一般信徒の死生観 [著]松田隆美

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2018年01月14日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■死者の運命を決める待合場所

 人は死後、どこへ行くのか、どこだっていいじゃないか、死んだら無さ、いいえ、霊魂になって天国か地獄のどちらかじゃないの?
 中世ヨーロッパ文学で、死後の実相が詳細に描かれた『トゥヌクダルスの幻視』や『聖パトリキウスの煉獄譚』によると、死者がまず最初に行く場所は天国でも地獄でもない、煉獄という場所である。ここには死者の今後の運命を決定する待合場所がある(天使が魂を天秤〈てんびん〉にかけて罪の重さを計量する所で、そんな絵を見たことあるでしょう?)。日本的には「十王図」で閻魔(えんま)王の前で死者が鏡をのぞかされる情景、アレの西洋版と思えばいい。
 煉獄といっても地獄の一部であって、たとえ責め苦を受けたとしても浄罪が終われば永久地獄に墜(お)ちる者と天国を約束される者(喜ぶのはまだ早い)とに分かれる。生前の善行悪行が死後の行き先を決定する段階で、煉獄の苦しみに、家族の夢枕に立って「祈って欲しい」と訴える魂だっている。が、臨終の苦しみを忍耐強く耐えた魂は煉獄を抜けられる(だとすれば安楽死は考えもんですよね)。
 煉獄での待機期間を終えた者は地上の楽園に迎えられるが、ここは本当の天国ではない(ダンテの『神曲』を参照)。天国とはダンテがベアトリーチェに導かれるあの場所で、仏教的には輪廻(りんね)転生の終わった者のみに与えられる不退の土(ど)である涅槃(ねはん)を指すのではないだろうか。
 煉獄譚の持つ魅力は不思議に説得力があり、とてもファンタジーとは思えないリアリティーがあるが、決して現世軽視ではない。幸いわれわれはダンテの『神曲』によって煉獄を経験することができる。
 本書はここで終わったわけではないが、わたくし的には〈死は死にまかせるがいい〉、生身の人間にとっては天国も地獄もこの世にしかない。かつてこの世にあった動植物も死滅し、文明の終末時計も地獄を刻み始めたと思えてならない。
    ◇
 まつだ・たかみ 58年生まれ。慶応大教授(ヨーロッパ中世文学)。著書に『ヴィジュアル・リーディング』など。

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