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のこった―もう、相撲ファンを引退しない [著]星野智幸

[評者]原武史(放送大学教授・政治思想史)

[掲載]2018年01月14日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■力士の見事な技にこそ拍手を

 かつて、琉王という沖縄出身の力士がいた。1972年の沖縄返還後もしこ名を改めず、琉球の王を自称し続けた。幕内の下位にいながら、ハワイ出身の高見山とともに、「日本人」で占められた角界に敢然と挑もうとしているように見えた。それでも非難はされなかったと記憶している。
 ところが時代は変わり、いまや幕内上位はモンゴル人の力士が多くを占めている。それに伴い、「モンゴルに帰れ」という野次(やじ)が飛んだり、「日本人」力士に盛大な拍手を送ったりする光景が目立つようになる。つまり大相撲が、ナショナリズムを高揚させ、「日本人」の一体感をあおるような政治空間を作りだしているのである。
 本書で星野智幸は、相撲ファンの一人として、昨今のこうした傾向に警鐘を鳴らしている。相撲で重要なのは、国籍や民族ではなく技である。なまじ国技などという名称が定着してしまったために誤解されるが、相撲の技自体は「日本人」でなければ体得できないものではない。観衆は、「日本人」力士が勝ったことに対してではなく、どの力士であろうが見事な技で勝ったことに対して拍手を送るべきなのだ——。
 きわめてまっとうな議論である。この議論は、大相撲のみに当てはまるわけではない。オリンピックにせよノーベル賞にせよ、「日本人」が活躍したり受賞したりすることばかりが注目される。代替わりを控え、日本のアイデンティティーの中核に位置づけられてきた天皇の存在感も増しつつある。より大きな時代の文脈のなかに置き換えてみることも必要だろう。
 本書の刊行後、モンゴル人力士の飲み会での暴行がきっかけとなり、日馬富士が引退に追い込まれた。おそらく著者は、これを機に大相撲が一気に瓦解(がかい)へと向かうことを何よりも恐れているに違いない。琉王が堂々と琉王を名乗っていた時代は、もうとっくに忘却されているのだ。
    ◇
 ほしの・ともゆき 65年生まれ。作家。『俺俺』(大江健三郎賞)、『夜は終わらない』(読売文学賞)など。

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