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仙人と呼ばれた男―画家・熊谷守一の生涯 [著]田村祥蔵

[評者]宮田珠己(エッセイスト)

[掲載]2018年01月21日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像

■争わず、自分を曲げずに生きる

 仙人と呼ばれた画家熊谷守一(くまがいもりかず)の評伝。
 熊谷といえば、太い輪郭線のある素朴な画風で知られるが、そうした絵が描けるようになるまでは、長く貧しい生活が続いた。若いころから寡作で、42歳で結婚してからも何年も描けず、日々の食事代にもこと欠いたというから、よくぞ腐らなかったものだ。
 描けない画家は珍しくないけれど、驚くのは、熊谷が貧しくても飄々(ひょうひょう)としていたことである。着たきりの着物も、「しばらく吊(つ)るしたままにしておくと、いくらかサラッとしてアカもとれる感じになるものです」なんて言って、いたってのんきなのだ。
 周囲からも慕われ、孤独とは無縁だった。美術学校時代の友人で、変わり者のため周りから敬遠されていた青木繁でさえ、熊谷にだけは心を開いたという。
 貧しいときも認められないときも、争わず、声高に主張もせず、ただ自分の心を曲げずに生きた。その姿勢にしびれる。誰もがそうありたいと願いながら、容易に果たせない生き方だ。
 そんな熊谷の作風に変化が現れはじめるのは、52歳で郊外に家を建て移り住んでから。今われわれが熊谷の画風として親しんでいる、太い輪郭線のある絵を描くようになり、その後はそれまで描けなかったのがウソのように多作の画家となっていった。
 本人はその理由を「年齢と共に」「欲が出てきて」「気分が大きくなって」と語るのだが、大雑把すぎて凡人には伝わらない。
 それよりも、「私は絵を描き始める。丁度(ちょうど)五分位経ったとき鼻唄(はなうた)がでてくる。さういった時が肝心なときである」という言葉が響いた。素直に楽しみながら描くということだろう。
 ただそれは「童心」とか「純真」というのとは違うと著者はいう。「もっと複雑だし、また勁(つよ)い人だった」
 元気の出る評伝である。彼のように、人生鼻唄とともに生きてみたい。
    ◇
 たむら・しょうぞう 37年生まれ。日本経済新聞社で文化部長、論説副主幹、取締役事業局長などを歴任。

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