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雑草はなぜそこに生えているのか [著]稲垣栄洋

[評者]佐伯一麦 (作家)

[掲載]2018年02月11日

[ジャンル]科学・生物

表紙画像

■イメージ覆す合理的な生存戦略

 バス停の標識の際に咲いているネコノメソウ、庭の草むしりをした後でも、枯れずに復活して増えるツルマンネングサ……。雑草という草はなく、どの植物にも名前があって、それぞれの場所とやり方を選んで生を営んでいる姿に惹(ひ)かれてきた。新版が話題の『広辞苑』の編纂(へんさん)者として知られる新村出が、ドクダミを「無比な名花ともいへる」と随筆に記しているのに、大いに共感してもきた。
 そんな雑草好きを自認してきたつもりが、本書を読んで、雑草の実態を何も知らなかった、と痛感させられた。例えば、抜いても抜いても生えてきて蔓延(はびこ)る雑草は、生命力が強いとしか思えないが、本当は弱い植物なのだという。激しい生存競争が行われている自然界において、光や水や栄養分を奪い合う競争に弱い雑草は、森のように強い植物がある場所には生えずに、土の少ない道ばたや、人間に耕され草取りされる畑のような場所に生える。
 雑草を完全になくす方法は、〈雑草をとらないこと〉だというのには、虚を衝(つ)かれた。もっとも、雑草は生えなくなっても、そこは大型の植物や木々が生い茂る藪(やぶ)や鬱蒼(うっそう)とした森となってしまうのだが。
 雑草に対する固定観念が至るところで覆されるなかでも、雑草がほんとうは〈踏まれたら、立ち上がらない〉というのには心底唸(うな)らされた。これまでの“雑草魂”のイメージは何だったのか、と思わされつつも、根性論よりもずっとしたたかで、合理的な雑草の生き残り戦略に、我々も現代を生き延びるヒントが見いだせるかもしれない。
 雑草の雑の字は、本来悪い意味ではなく、さまざまな草木を染色に使うと、色々な色の布が出来たことに由来している。文章に厳しかった永井龍男は、自分の書くエッセイや短文をあえて「雑文」と自称していた。若い人向けに書かれた本書から、評者は雑文としての書評を書く心構えも受け取った。
    ◇
 いながき・ひでひろ 68年生まれ。静岡大教授(雑草生態学)。著書に『身近な雑草の愉快な生きかた』など。

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