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見知らぬ記憶 [著]小林紀晴

[評者]宮田珠己(エッセイスト)

[掲載]2018年02月25日

[ジャンル]文芸

表紙画像

■撮るとは? 答えを探り続けて

 著者は90年代、アジア各地を旅する日本の若者たちの写真を撮り、インタビューとともにその内面に迫った。『ASIAN JAPANESE』と題されたデビュー作は、旅をすることが、モラトリアムだとか自分探しと揶揄(やゆ)された時代に、旅する意味を果敢に掘り下げていた。そしてそれは著者本人の迷いを反映したものであろうことは容易に想像がついた。自分にとって旅とは何か、写真を撮るとはどういうことか、いったいその行為に意味はあるのか。そう問わずにいられないナイーブさが彼の持ち味であった。
 本書は、その答えを探り続けた写真家の軌跡とも読める。とくに印象的なのは、被災地を撮る後ろめたさの前で逡巡(しゅんじゅん)する著者の姿だ。飲み屋のカウンターで〈変わってしまった地で変わらないものを見ること、それを撮ることで、「何か」を伝えたい〉と語ると、「何かって、何?」と店主に冷たく突き返される。
 「ここで写真を撮るのは、仕事か? それとも遊びか?」と問われ、言葉に詰まる。誰に問われなくても、その問いは写真家なら常に胸に突きつけられている難問であるだろう。
 長い逡巡の果て、著者は記憶という対象にたどりつく。撮った覚えのない写真、経験したはずのない過去、旅の途中、不意に襲ってくる普段は思いおよぶことのない記憶の断片。それらについて文章にしてみたかったという本書は、写真家として避けて通れない道だったにちがいない。
 彼は、自らの出身地の諏訪で、かつて父や祖父も参加した御柱祭を撮り、それを皮切りに全国の奇祭を追う。そして被災地で950年前から続く祭りの場で、見ることのできない時間の長さ、過去を撮ったという思いに打たれるのだ。ようやく何かをつかんだ(のかもしれない)瞬間である。
 そこはナイーブで真摯(しんし)な著者だからこそ踏み越えることができた、ギリギリの地平のように思えた。
    ◇
 こばやし・きせい 68年生まれ。写真家・作家。『メモワール 写真家・古屋誠一との二〇年』『ニッポンの奇祭』。

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