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J・G・バラード短編全集(全5巻) [著]J・G・バラード

[評者]円城塔  (作家)

[掲載]2018年03月04日

[ジャンル]文芸 科学・生物

表紙画像

■探査し続けた内と外の宇宙

 今わたしの頭の中にはひとつの妄想が渦巻いていて、それはこういうものである。
 人がバラードの作品を読むときは、自分が生まれた時代に書かれたものを最も好むのではないか。
 第5巻をもって完結したこの短編全集は、1956年から1996年までに書かれた98編の作品を、年代順に収録している。とかく、難解とされがちなバラードの作品だが、デビュー作から読み進めていくというのはひとつのやり方である。
 わたしがバラードの作品として大好きなのは、4巻に収録されている「下り坂カーレースにみたてたジョン・フィッツジェラルド・ケネディ暗殺事件」や「どうしてわたしはロナルド・レーガンをファックしたいのか」といった作品たちだが、これを読んで、意味がわからないとか、人を馬鹿にしていると怒りだす人がいるのはわかる。
 だがしかし、70年代生まれのわたしにとって、この時期の作品は自然と頭に入ってくる。
 それが、この5巻に収録されている80年代以降の作品、たとえば「近未来の神話」あたりとなってくると、やや紙面に焦点が合わなくなってくる。
 といったところで、冒頭の妄想へと戻る。
 この、自身の成長期以降に登場したものを、馬鹿げたものと思う傾向は、テクノロジーに対して顕著であることが知られている。手紙世代は電子メールを馬鹿にする。
 バラードは、テクノロジーと人間の欲望の結びつきを強く意識した書き手であるから、読み手がテクノロジーについていけなくなった時点で、バラードの小説にもついていけなくなるというのはありそうなのだが、バラード当人にとってはどうだったのか。
 一文でいえば、バラードは宇宙そのものだった、というあたりになりそうで、彼はテクノロジーを通じた内宇宙と外宇宙の関係を考え続けた。宇宙空間へ向けて旅立つのも、自分の内面を掘り下げるのも、どちらも探査であるとした。人は自分の頭蓋骨(ずがいこつ)の中に閉じ込められているが、とても不思議なことにその外側へでることができる。その感覚もまた妄想であるかもしれないのだが。
 読み手がどこかの時代でついていけなくなってしまうような作品を最後まで書き続けることができたならそれはやはり、バラードの内宇宙が外の宇宙を写すことに成功していたから、ということになるのではないか。
 今20代の人々がこの5巻を読んだとき、意味がわからないと感じるのか、当たり前のことが書いてあると思うのかとても気になる。
    ◇
 James Graham Ballard 1930〜2009年。英国の作家。中国・上海生まれ。SFの「新しい波」(ニューウェーブ)運動の旗手だった。著書に『結晶世界』『太陽の帝国』『ハイ・ライズ』など。

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