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西南戦争―民衆の記―大義と破壊 [著]長野浩典

[評者]市田隆(本社編集委員)

[掲載]2018年03月18日

[ジャンル]歴史

表紙画像

■人心の荒廃止まらぬ戦場の病理

 西南戦争は、明治維新の英雄西郷隆盛とそれを取り巻く旧薩摩藩士族の滅びの物語を中心に伝えられてきた。しかし、様々な史料を駆使して、戦地に暮らす名も無き民衆の側から捉え直した歴史研究の本書は、兵士の側の戦記とは全く違う戦場の姿を浮かび上がらせた。その最大の特徴は、いつの時代も変わらない戦争の悲惨な現実だ。
 1877(明治10)年2〜9月に政府軍と薩摩軍が戦闘を繰り広げた九州各地では、両軍が戦いを有利にするために、戦場となった街や村を焼き払う。農民たちは農作業が不可能になったばかりでなく、人夫や兵士に動員されて犠牲になった。略奪同然に食糧や物資を提供させられることも多かった。これまでに読んだ田原坂(たばるざか)の激戦などの戦記の印象が深かったが、その陰で現地の民が文字どおり踏んだり蹴ったりになっていた有り様を、本書は詳細に再現している。
 司馬遼太郎の歴史小説『翔(と)ぶが如(ごと)く』では西南戦争の場面で、西郷が「百姓を苦しめるな」との達しを何度も出させたり、食糧不足で農家から柿をもぎとった薩軍兵を「人の物は盗むべきではない」と叱ったりしたという記録がつづられた。だが、絶対的な求心力を持つ高潔な人柄の西郷でさえ人心が荒廃していくことを止められない病理が戦争にあることを、本書の数々の史実が物語っている。
 一方、銃弾が飛び交う戦場でも餅や酒などを兵に売りつける商売人たち、拾い集めた銃弾を売ってお金にする人々がいた。被害者だけでなく、戦争をカネにするしたたかな面も紹介され、民衆の表情は複雑だ。
 ただし、民衆がすすんで戦場にしたわけではなく「いつも突然、イクサが向こうからやってきて、生活を踏みにじるのだ。それは、西南戦争も同じだった」。著者は民衆の視点にこだわり、西南戦争以降の近代戦との共通点を見いだしている。現代にも通じる教訓を投げかけた意味は重い。
    ◇
 ながの・ひろのり 60年生まれ。高校教諭。著書に『放浪・廻遊民と日本の近代』『ある村の幕末・明治』など。

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