紀伊半島の山深くで伐採した丸太を川で運ぶ。それを「狩川(かりかわ)」というそうだ。流れが細いうちは、底につかえたり岩に引っかかったりするのを1本ずつ、大勢の男たちが木遣(きや)り節で調子を合わせて流した。そんな昔の労働と暮らしを描く表題作など、山村を舞台にした七つの短編を収める。水は雨だけに頼る「天水田(てんすいだ)」、荷を頭に載せて運ぶ「いただきの女たち」など、いまはない習俗も興味深い。
「核心部分は事実。小説とはいえ土台になる状況は、おろそかにしたくない」が、創作の身上だ。
自身も炭焼きを営む両親のもとで山育ち。果無(はてなし)山脈に連なる熊野古道付近に住む。「この家に使った木材は、自分で植えたスギやヒノキを自分で伐採して、車道のそばまで狩川したんですよ」と、こともなげに言う山びとである。
各地の森、熊野の山の今昔を、自分の体験だけでなくお年寄りを訪ねて話を聞き、記録した文章は『宇江敏勝の本』(全12巻、新宿書房)にまとめた。2009年で完結し、「書くのは終わり」と一時は思ったが、小説を書こうかなという気になった。もともと若い頃から、同人誌「VIKING」に小説を書いていたのだ。
「遊びと思って小説を書くと、これが面白い」。「12巻」にも書ききれなかった話はノートにたくさん残っている。すると出版元から単行本を年1冊、10年出そうと提案があり、「VIKING」の短編を毎年まとめて7冊目がこの本。原稿用紙に鉛筆と消しゴムを使い、「書く時間より消す時間の方が長い」と笑うが、常に小説の4〜5本は用意があるという。
かつて作家の富士正晴に「宇江は教養がないのが取りえやな」と言われ、「そうだ。僕は現代の教養が届かない世界を書く」と肝に銘じた。「あと3年で3冊」の後は、「長編を、死ぬまでに頑張って書きたい。先祖代々炭焼きですから炭焼きの歴史を踏まえて」と語る。動植物、山や川……自然との付き合いがずっと濃密だった頃の生活のありように加えて、「小説は人間。もっと人間を描けるようになりたいですね」と念願している。
(文・写真 大上朝美)=朝日新聞2017年11月19日掲載
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