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澤田瞳子さんの読んできた本たち 歴史小説の世界へ誘った1冊「遠い時代の話もこんなに面白くなる」

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「古今東西の名作を読む」

――いちばん古い読書の記憶を教えてください。

澤田:絵本はいまだに何冊か手元にあるので、たぶんこれらの記憶なんだろうなと思うんですが、はっきりしません。『てぶくろ』というウクライナの民話の絵本は落とし物の手袋の中に動物たちが入っていく話で、それは今でも好きなので、小さい頃もお気に入りだったんじゃないかなと思います。それとか、定番の『だるまちゃんとてんぐちゃん』とか。

――小さい頃読んだ絵本がいまだに手元にあるのですか。

澤田:あります。本を捨てられない人間なので、小さい頃に読んだ文学全集や読み聞かせてもらった絵本もとってあります。

 本当に小さい頃から本を読むのが好きだったのですが、子供向けの本って「小学何年生向け」と書いてあるじゃないですか。あれがすごく嫌いでした。先生に「これは高学年向きだからまだだね」とか言われて、「え、だってこの本読みたいのに」って。

――読む本はどのように選んでいたのですか。

澤田:小さい頃は本屋さんに行って「選んでいいよ」と言ってもらえたので買ってもらっていました。小学校に入ってからは、学校の図書室で読んで面白かったものがあると、続きがほしいと親にねだったりしていました。それと、子供向けの文学全集を揃えてもらっていたので、それを片っ端から読みました。古今東西の話が入っていたと思います。注釈付き現代語訳の子供向け「平家物語」とか、「がんくつ王」とか、シャーロック・ホームズとか。

 その全集でよかったのは、日本文学版の最後の巻が現代童話セレクト集になっていて、まだご存命だった松谷みよ子さんや安房直子さんの短篇がアンソロジー形式で入っていたんですよ。それで知った現代の童話作家さんのお作を、個別に読んでいったりしていました。

――学校の国語の授業は好きでしたか。

澤田:好きでした。新年度に教科書が配られたら先に全部読むタイプでした。作文は得意でしたが、読書感想文はあんまり好きじゃなかったですね。本を読むのは好きだけれど、読んで感じたことをうまく書けるかどうかはまた別じゃないですか。ちょっと話が前後しますし、もうそろそろ時効だと思って告白しますが、高校2年生の時に、友達が夏休みの宿題の読書感想文が苦手で間に合わないって言うから、何かとの交換条件で彼女の分も引き受けたんです。彼女の分は吉村昭の『破船』で書きました。そうしたらそっちのほうが、読書感想文コンクールに出すことになってしまって。友達が先生に取り下げてもらえないか交渉にいったんですが、「別にいいじゃないか」みたいに言われてしまい。結局、府か何かの大会までいって、そこでようやく選外になったんですよね。すごく適当に書いた感想文だったのに......。作品が良かったからなのかもしれません。

――読むものは小説が多かったのですか。それと、自分でお話を想像したり書いたりはしていましたか。

澤田:読むものは見事に小説ばかりですね。小6くらいの時に「お話を作ってみよう」みたいな授業があって、それはすごく楽しかったです。中学生の時に何か書いてみようとしたんですけれど、枚数がすごく必要だということが分かり......。中1の時かな、日本ファンタジーノベル大賞がスタートして、賞金500万円というのが子供心にすごく衝撃だったんです。同時に、規定枚数が400字詰め原稿用紙で300枚から500枚くらいで、そんなに書けへんとも思いました。

――読書以外に、映画やアニメなど何かはまったもの、のちの創作に影響を与えたと思うものはありますか。

澤田:小説以上のものはないですね。映画もアニメも好きでよく見ていましたけれど、でもそれは自分にとって、言葉と文字以上のものにはならなかったんですよね。

 ただ、小学生の時はテレビ時代劇が大好きでした。京都に住んでいたんですが、通学路に毎日のように時代劇のロケをしている神社があったんです。下校時、参道に屋台が出ていて、チャンバラのシーンなんかを撮影していて、「お子さん通りますー」って言われる中、和装の出演者さんたちの間を駆け抜けて通らせてもらったり。そんななか、小学校3年生くらいの頃に風間杜夫さんの「銭形平次」の放送が始まったんですよ。すごく格好よかったんです。その時に「この話には元になった物語があるんだよ」と教えられ、テレビドラマに原作があるということをはじめて知りました。富士見書房文庫版の『銭形平次捕物控』をすぐに買ってもらって、本当にボロボロになるまで読みました。

――ドラマや映画で面白かったものは原作にもあたるという。

澤田:そうですね。緒形拳さんが主演の「動く壁」というSPが主人公のドラマを見た時は、吉村昭さんの短篇が原作だと知って(短篇集『密会』所収)、翌日買いに行きました。わたしが中1の頃に、松本清張さんが作家活動40周年記念で作品がどんどん映像化されていたので、それで『霧の旗』を始めとする色々なドラマを見て、次の日に本屋に走りました。

――「銭形平次」以降、好きだった時代劇はありますか。

澤田:月曜から日曜まで毎日なにかしら時代劇をやっていましたから、いい時代でした。日テレが年末時代劇で、必ず里見浩太朗さんを主演に据えた長編ドラマを放送していました。たとえば「忠臣蔵」だと大石内蔵助が里見さんで、浅野内匠頭が風間杜夫さんというように、この2人が主たる組み合わせなんです。それで小学生の頃、「白虎隊」が放送されました。これが実に名作で、本当にはまりました。わたしの時代・歴史小説観の根本の一つはあの作品だと思います。中学高校の頃は、期末テストが終わるたびにそのビデオを見返してだーっと泣く、というのがストレス解消法でした。中川翔子さんのお父さんの中川勝彦さんが沖田総司役だったんで、とてもかっこよかったです。去年会津に行ったら、そのドラマ制作時に書かれたらしき出演者たちのサインが飾られていて、「おおおっ」と大興奮でした。

――現代もののドラマはあまり見なかったのですか。

澤田:そうなんですよ。つい7,8年くらい前にようやく「東京ラブストーリー」を見たくらいです。ただ、コロナの最中にTVerで古い名作を片っ端から見ました。「愛していると言ってくれ」にはまって、仕事を放り出して見ていました。

「好きな本は繰り返して読む」

――好きな本は繰り返し読むタイプですか。

澤田:読みますね。ソデが取れるまで読んだりします。たとえば宮部みゆきさんの『龍は眠る』や『魔術はささやく』はソデが取れています。たぶん、そこまで繰り返し読むようになったのは新井素子さんの『グリーン・レクイエム』が最初だと思います。中2の頃にすごくはまって、ずっと鞄に入れていたので、ボロボロになりました。何年か後に続編が刊行されていると知って手に入れた時は、スキップするようにして家に帰りました。

 新井素子さんは大好きで、それをきっかけに集英社コバルト文庫をずいぶん読みました。コバルトであと印象深いのは、氷室冴子さんでしょうか。氷室さんは珍しく漫画から入った口です。自分では漫画雑誌は買わなかったのですが、親戚の家に行ったときにたまたまあったのが、『クララ白書』のコミック版が載った雑誌でした。それをもらって帰ってきて何度も何度も読んで、どうやら原作があるらしいと知り、買いに行ったんです。こんなに面白い小説があるんだって思いました。

 コバルト文庫は他に山浦弘靖さんの星子シリーズという、ティーン向きにしてはちょっと大人の雰囲気のあるミステリーシリーズがあり、それも好きでした。主人公の星子ちゃんという気の強い女の子が一人旅の行く先でさまざまな事件に巻き込まれるという。当時は大人向けの小説を書いてらっしゃる方でコバルト文庫にご執筆なさる方も多く、大人の世界を垣間見ることができる作品でした。

 その後、わたしが中2くらいの頃でしたでしょうか。講談社X文庫のホワイトハートという、少し年齢層高めのライトノベルのレーベルの刊行が始まりました。全巻読んでやるぞと意気込んでかなり頑張ったんですが、あっという間に追いつけなくなりました。

――ホワイトハートではどの方の作品が好きだったんですか。

澤田:もともと小野不由美さんがずっと好きだったんですよね。遡れば、朝日ソノラマ・パンプキン文庫で出ていた2冊に衝撃を受けました。『呪われた十七歳』は『過ぎる十七の春』に改題され、『グリーンホームの亡霊たち』は『緑の我が家』と改題されて今でも読めますが、それがすごく面白くって。その作者の小野不由美さんが書いているということでずっとティーンズハートの悪霊シリーズを追いかけて、シリーズが完結する頃に新潮社さんから『魔性の子』が出て、ホワイトハートで「十二国記」シリーズが始まって、ずっと追いかけていました。あの頃は異世界ファンタジーも多くって、岡野麻里安さんや流星香さんのファンタジーもよく読んでいました。

――学生時代、放課後もずっと本を読んで過ごしていた感じですか。

澤田:そうですね。放課後じゃなくて授業中にも本を読んで、しょっちゅう先生に怒られていました。休みの日も家にいて本を読んでばかりで、親に「たまには外に行きなさい」って追い出されていました。

――澤田さんのお母さんは時代小説家の澤田ふじ子さんですが、親御さんと本の話をされたりとかは。

澤田:それが、あんまりしなかったんですよね。たぶん本の趣味がかなり違ったので。わたしは現代ものやファンタジーが好きだったので、そこらへんは噛み合わなかったです。

 本の話は学校でしていました。わたしは私学に通っていたので、遠くから通ってくる子が多かったんです。携帯もない時代だから、通学の間に本を読む子が多くて、漫画も含めて本の貸し借りがさかんでした。それは嬉しかったですね。その後、大学に入ってからはそういった関係がなくなってしまったのが残念だったんですけれど。

――では中高時代は本の情報はお友達から得ることが多かったのですか。

澤田:そうですね。それと、書店で無料配布している「これからでる本」もありましたし、書店で文庫の刊行予定の一覧表が貼られていたので、あれをいつもじーっと見ていました。それに、「DO BOOK」という日販が刊行していた本の情報誌があったんですよね。それがすごく良かったんです。四六(判)の本の話題作と、文庫と新書全点の刊行予定の一覧が載っているので、書店でもらってきたそれにマーカーを引いて新刊チェックして、ほしい本が出る日に書店に行く、という日々でした。

――お小遣い足りました?

澤田:全然。なので高校に入ったくらいの頃から、新刊は書店さんで買って、他の読みたい本は古本屋や古本市に通って手に入れていました。とりあえず初見の作家さんは古本で買って、読んで興味を持ったら、既刊本を新刊で揃えるという感じでした。

――生活圏内に書店や古本屋は多かったですか。

澤田:多かったですね。実家のそばに2軒、小さな町の本屋さんがあって、学校のそばに2軒古本屋さんがあって。あとは京都は今でもそうですが、3か月おきくらいに古本まつりというイベントがあるんです。そこで手あたり次第、面白そうと思った本を買っていたので、うちにある本は、たとえば山本周五郎さんのお作とかはすごく古い版と新しい版が混じっています。

――それにしても蔵書の整理が大変なのでは。

澤田:基本的に五十音順に並べています。10代の頃は時間があったので、暇さえあれば本棚の整理をしていました。その時間はすごく幸せでした。

――ご自身の本以外にも、おうちにいっぱい本があったのではないかと思うのですが。

澤田:そうですね、ありがたかったです。「野性時代」とか「小説新潮」といった小説雑誌もいっぱい届いたので、いろんなジャンルのものが読めました。なので読み始める順番がおかしくなったりもするんですよね。北村薫さんは中央公論社から出ている巫弓彦シリーズ(『冬のオペラ』)の雑誌連載から入り、その後に円紫さんとわたしのシリーズを手に取って、「あ、巫弓彦シリーズの人だ」と思ったりして。

――ところで、読むものは国内作家が多かったのですか。

澤田:海外小説はなかなか登場人物の名前が憶えられないんです。わたし、漢字などの字面で物事を記憶しているもので。編集者さんの名前も音で聞くと憶えられなくて、メールなどでやりとりしているほうが憶えやすいんです。でも、海外小説だと名前がカタカナなので記憶するのが難しくて。とはいえ中学の終わりくらいから澁澤龍彦さんにはまりまして、そこからは河出書房から出ている海外の幻想文学系は一通り読みました。澁澤がスタートだったから、マルキ・ド・サドなども全部読みました。面白いと思うとオリジナルに遡りたくなる人間なんだと思います。

「最初に書いた作品は」

――部活はなにかされていましたか。

澤田:文芸部で、ただ本の貸し借りをするという部活でした。創作も少しはやりましたが、ガチでプロを目指すみたいな雰囲気ではなかったです。先ほどわたしが読書感想文を代筆した友人は童話コンクールで賞を獲ったりしていたので、じゃあなんでわたしが代筆したのか......。

――澤田さんが創作したのは、現代ものですか。

澤田:現代ものです。わたし、大人になってからはじめて創作してボツになったのも、実は現代ミステリーなんです。やってみて分かったんですけれど、現代もの、特にミステリーを書くにはすごく緻密な頭が要るのに、わたしは思考が短期的なんだと思います。これは向いていないなと思いました。なので現代ものは読むことに特化しています。

――あ、ミステリーを書かれたんですか。

澤田:そうですね、読んでいるものを真似るというか。わたしが10代の頃は新本格がすごく流行っていたいたんですよね。その後どんどん細分化されてついていけなくなったんですけれど、高2の時に京極夏彦さんが『姑獲鳥の夏』でデビューなさって、同じ月に篠田真由美さんの建築探偵桜井京介の事件簿シリーズの『未明の家』が刊行されたんです。どちらも「これは絶対に面白いはず」と嗅覚が働いて、すぐに書店で手に取りました。二冊ともすごく面白かった。それと小野不由美さんが好きだったこともあって、綾辻行人さんのお作も自然と手にとるようになりました。他に、社会派ミステリーも、自分が知らないお仕事が出てきたりするし、こういう人間っているんだなと発見があるのが好きでした。昔から、知らないことを知りたい、というところがありました。

 わたしが中高生の頃って、バブルははじけたけれど出版界はまだ景気がよくて、日本ファンタジーノベル大賞のほかに新潮ミステリー倶楽部賞が始まって、それらを全部四六で買うってことを自分に課していた時期があったんです。途中で破産しそうになってやめたんですけれど。あの頃にいろんな作品に出合えたのはめちゃくちゃ幸せでしたし、もともとわたしは読み手としてはミステリーや現代ものが好きなので、多感な時期にそれらの作品を読めたのは今でも財産になっています。

 それと、高校の時はもうひとつ、「プラちゃんスタッフ」という、プラネタリウムの運営スタッフをやっていました。学校の中にあるプラネタリウム室を使って、生徒が作った独自プログラムを文化祭の時などに放映するという有志団体なんです。そこでわたしは脚本を書いていたんですよ。もしかしたら最初に人前に出た文章はそれかもしれないです。

――プラネタリウムの脚本ですか。

澤田:はい、今でもプラネタリウムに行くと、「秋の星座の物語」とか「夏の大三角を見てみよう」とか放映されるでしょう? ああいうのを真似て自分たちで書くんです。わたしが書いた中でも印象深いのは、2000年前の中国の空を見てみましょうという結構マニアックな内容でした。夏休みに宿題を放り出し、様々な星座の本を借りてきて調べていましたね。当時学校で流行っていたコミックの一つに、渡瀬悠宇さんの『ふしぎ遊戯』というお作がありまして。古代中国の星座がモチーフになっていたんです。そこから着想を得たプログラムですね。ありがたいことに、なかなか好評でした。

――漫画だと、他にどんな作品を読んでいたのですか。

澤田:中2の時だったでしょうか、篠原千絵さんの『闇のパープル・アイ』が爆発的に流行りました。1セットの漫画が、クラス中で飛び回っていましたね。

 ただ女子校だったせいか、少女漫画の知識はすごくあるのに少年漫画の知識はがばっと抜けています。大人になって同世代の作家と話した時、「人生で大事なことは全部『北斗の拳』で学んだ」って言われたんですが、わたし、まったく分からなくて。小6くらいの時からアニメがものすごくヒットしていたのに、私立の女子校に入ってしまったので知らないままだったんです。『SLAM DUNK』もすごい名作と噂だけ聞きながら読んでいなくて、コロナ禍の最中にやっと読みました。

――ところで、京都で生活していると歴史的なことにも触れる機会が多かったのでしょうか。よく地元に住んでいる人間ほど地元の名所には行かないとも言いますが。

澤田:名所には行かなかったですね。学生の頃は歴史的なものにはあまり関心はなかったかもしれません。

――では小さい頃から歴史好き、ということはなく?

澤田:あんまりないですね。でも知らないことを知りたいので、歴史の授業には強かったです。それに私立だったせいか、歴史の授業がすごくマニアックだったんですよ。特に中学2年生の時の世界史の授業は、1学期が古代エジプトで2学期が古代ギリシャ、3学期は古代ローマで、ゲルマン人の大移動で1年が終わるというものでした。でも、それがすごく面白かったですね。あの頃はイタリア半島にちゃんと都市が書き込めましたもん。高校でも世界史の授業でフランス革命を1日刻みでやる先生がいたりして。

 後に分かったことなんですが、わたしが習った世界史の先生たちは古代ローマ史がご専門でした。古代ローマを舞台にした映画や小説も教わって、それでヘンリク・シェンキェヴィチというポーランドの作家が書いた『クォ・ヴァディス』という小説があると知ったんです。映画化もされていて、昔の天然色パノラマでエキストラ何万人、という感じの作品です。小説の方の副題に「ネロの時代の物語」とある通り、ネロの親衛隊のローマ人の青年とキリスト教徒の女性の恋愛を軸に、背景にネロの治世下で起きたキリスト教迫害やローマの大火災が配されています。歴史的背景に基づくメロドラマと言ってもいいかもしれません。それを授業で教わり、映画を先に観て小説も読んで、すごく遠い時代の話もこんなに面白くなるんだ、ということに関心を持ったのを憶えています。今でもお薦めの本を訊かれると『クォ・ヴァディス』を挙げています。

――海外小説が苦手といっても、読まれていますね。

澤田:あれ、確かにそうかも。興味さえ持てれば何でも読めるもので。海外のものも、創元推理文庫などはかなり読みました。ヒッチコックの映画を観て原作があるというのでデュ・モーリアの「鳥」(『鳥 デュ・モーリア傑作集』所収)を読んだり、幻想文学の流れで吸血鬼の本を読みはじめたりという。

――歴史・時代小説で、他に好きだったものはありますか。

澤田:あの分野に関心を持つきっかけになった作家さんとして、森雅裕さんとおっしゃる、東野圭吾さんと江戸川乱歩賞を同時受賞された方がいるんです。中学生の時だと思います。その方の『ベートーヴェンな憂鬱症』という、音楽家のベートヴェンの一人称のミステリーを読み、衝撃を受けました。デビュー作の『モーツァルトは子守歌を歌わない』というモーツァルトの死の謎をベートヴェンが解き明かす物語とともに、森さんのお作は歴史背景がしっかりしたミステリーで、歴史をこんなに面白い物語にできるのかと衝撃を受けましたね。シリーズの表紙が摩夜峰央さんのイラストで、今でも大好きな作品です。

「昼食代を節約して本を買う」

――大学の学部や専攻はどのように選ばれたのですか。

澤田:学んだのは、文学部文化史学専攻です。ただ本当は神学部に行きたかったんですよ。自分の知らないことを知りたかったので。ところが就職の口がないということと、学年からこの学部には何人という推薦枠が決まっていて、神学部の枠が少なかったんです。自分より成績がいい人が何人か希望すると落ちてしまう。わたしはあまり勝負に出るタイプではないですし、文化史は幅広く文化全般が学べると聞いたので、そこに行きました。

 地学もいいなと思っていたんです。プラネタリウムの脚本を書くために中国の星座を調べたりしていたこともあって、地学の成績はよかったんです。でもうちの大学は地学系の学部がなくて。努力するのがあまり好きではないので、外部の大学をわざわざ受けようという考えもなかったです。

――そういえば前にインタビューした時に、長野まゆみさんもお好きだとおうかがいしましたよね。

澤田:はい。天体好きなので。天体や地学の興味とそこが結びつくんです。長野さんはずっと四六で買っているので、デビューされてすぐの頃から読んでいます。

――文化史学は面白かったですか。

澤田:そうですね。知らないことを知るというところで知識欲は満たせました。ゼミは古代が中心でした。たまたま親しくなった院生の人に古代は資料が少ないから調べものが楽だよって勧誘されたんですよね。後からそれは嘘だったなと思いましたけれど。

 卒論は仏教制度の役所の話をやりました。仏教そのものじゃなくて、仏教を取り巻く仕組みのほうに興味がありました。

 大学に入ってから、小説は以前ほどは読めなくなってしまいましたね。本の話をする友達が減ってしまったのは残念でした。「DO BOOK」がなくなってしまったのも痛かった。そこから一人で本を探すようになります。インターネットにいろんな書誌情報が出るようになるまで少し時間が空くので、こまめに本屋さんに行って棚を見ていました。それは今でも続いています。

――この人の新刊は必ず買う、という作家は。

澤田:昔も今も、数え切れません。

――アルバイト代も本につぎ込む感じだったのでしょうか。

澤田:他にお金をかけていませんでしたから、本しか買っていませんね。わたし、いまだにノーメイクなんです。化粧品って高いじゃないですか。口紅1本で文庫が3冊買えるぞ、って思っちゃうと、メイクが後回しになる。大学では、生協の書籍部で一割引きで本が買えるのは嬉しかったですね。お昼ご飯代もケチって本を買っていました。今でも憶えているのは100円のベーグルです。栄養バランスもなにもあったものじゃないですけれど、お腹は膨れたので、残ったランチ代で文庫を買いました。

 わたし、本は繰り返し読むので手元に置いておきたいんですよ。なので図書館がうまく利用できないんです。図書館で借りて読んでいいなと思ったら買う、という方も多いですけれど、わたしにとって図書館の代わりが古本屋さんでした。

――大学では能楽のサークルに入られたそうですね。それも知らないことを知りたかったからですか。

澤田:そうなんです。高校の時に観に行く機会があったんですけれど、全然面白くなくて。でも芸能としてずっと続いているってことは、何か面白いことがあるんじゃないか、やってみたら面白いんじゃないかと考えて入部しました。確かに自分がやってみたら面白かったんですが、どう面白いのか人に説明するのはなかなか難しいですね。

――能に関する本を読んだりしましたか。

澤田:それでいうと、これも中学生の頃でしょうか。杉本苑子さんの『胸に棲む鬼』という短篇集を読んで、杉本さんのお作にはまったんですよね。それまで日本の歴史をテーマにした歴史小説って、あまり面白くないと思っていたんです。しかし杉本さんは視点が登場人物に大変近いので、こんな書き方あるのかと関心を持ちました。その中で杉本さんが宝生流のお能をお稽古なさっていたと知って、へえ、お能って習うことができるんだと感じました。能楽部に入るきっかけの一つは、多分、そこにもあります。

 それとわたしは皆川博子さんが大好きなんですけれど、皆川さんの『変相能楽集』という、お能をテーマにした幻想短篇集があるんです。これも自分でお能を稽古し始めると、最初に読んだときとは違う印象を持つようになり、面白かったです。

――ああ、皆川博子さんがお好きなんですね。

澤田:大好きです。皆川さんのお作だと『朱鱗の家』という、皆川さんが文章を書いて、岡田嘉夫さんがイラストを描いた本があるんです。今は文庫も出ているようですが、わたしはそれをきらびやかな装幀の四六で読みました。見開きにイラストがあって、間にちょっとずつ文章があるんです。もう本を抱きしめちゃうぐらい好きでしたね。いや、今でも大好きです。皆川さんはたしかミステリー作品から読み始めて、幻想系を手に取り、近代の物語を手に取り。今は大先輩としても、心から尊敬申し上げています。

「小説の執筆&デビューのきっかけ」

――大学院に進まれたんですよね。もっと勉強したいと思われたのですか。

澤田:そうですね。あとはまあ、わたし2000年卒で就職超氷河期だったので、どう考えても就職は無理だというのもありました。

 ただ研究ばかりしているうちに、わたしは歴史は好きだけれども、もうちょっと楽しむようにやりたいなと思うようになりました。研究だと9割9分9厘まで論をつめて、ちょっとだけ想像を入れるんですけれど、わたしは6割くらいから想像を始めちゃうんです。教授にもよく「君の論考は雑だよ」って注意されていました。でも、わたしは6割くらいからはしごをかけるのが楽しいんじゃん、って思っていたんです。その時はまだ小説を書こうとは思っていなかったんですけれど。

――それで大学院を途中でやめたそうですね。

澤田:結構発作的に辞めたんですよ。修士論文を出して博士課程の願書を出すまであと10日くらいという頃に、願書を取りに行って手続きを確認していたら、入学金が10万円って書いてあったんです。3年前修士になる時に払って、また払うのかと思った時にプチっと何かが切れて、かなり発作的に進学をやめたんです。

――やめてどうしようと考えていたのですか。

澤田:考えていたのは看護士さんになるか、理系の自然科学系の大学に入り直して、地学とか、水産系も好きだったのでそれを勉強するか。けれど結局、博物館等のアルバイトをしながら細々とできることを探すという、一番楽な道を選びました。

――水産系も好きだったのですか。

澤田:水族館の飼育員になりたいという野望があったんです。水族館はずっと好きです。水の中って知らないところなので、知りたくなるんです。知らないところといっても宇宙はちょっと遠いですし。

――その頃の京都って、水族館ありましたっけ。

澤田:当時はなかったんですよ。三重県の鳥羽の水族館に行っていました。大阪に海遊館という水族館ができたのはわたしが小6くらいの頃かな。

 わたしはとにかく博物館施設が大好きなんです。だから科学館も博物館も郷土資料館も好きで、そういったなかのひとつが水族館ですね。

――澤田さんは今も大学で働いているそうですが、それはいつからですか。

澤田:大学院を飛び出して2年か3年経った頃、アルバイトとして雇用してもらいました。教授が、わたしが発作的に飛び出したことをご存知だったので、「大丈夫? うちの研究室に来る?」と声をかけてくださって。教授が受け持っていたある課程のバイトに行くことになり、今も週一回の勤務を続けています。

――では、小説を書くようになったきっかけは。

澤田:大学院を辞めてから、いろいろ文章のお手伝いもしていたんです。新人賞の下読みの下読みをやったり、徳間書店から出ている時代小説のアンソロジー、『大江戸猫三昧』『犬道楽江戸草紙』『酔うて候』の3冊の編纂をやって、その巻末にコラムを書いたりして。出版界の端っこにいるなかで、徳間書店の「問題小説」という雑誌でエッセイを書くことになりました。その頃テレビ番組の「トリビアの泉」が流行っていたので、京都のトリビアやコラムを書きませんか、みたいなことを言われたんだったと思います。それを2、3年やったのかな。そうしたら「小説もやってみる?」みたいな話になり、最初は、先ほどもお話した現代ミステリーを書いたんですが、こちらはあっさりボツになりました。

 ちょうどその頃、時代小説の書き下ろし文庫が流行り始めていたいたんですよね。2007年か8年くらいです。それで「時代小説の書き下ろしだったらどういう時代がやりたいか」と訊かれて、「奈良時代がいいです」って言ったら、編集者さんは「奈良か......」という反応でした。でも奈良時代をやって駄目だったら江戸ものをやらせればいいと思ったそうです。江戸ものをやって駄目だったら奈良時代、というのはありえないので、それで書かせてもらったのが『孤鷹(こよう)の天』でした。

――デビュー作ですね。奈良時代の儒教の大学寮の話です。

澤田:もともと古代が好きだったんですが、ちょうどその頃古代の小説を書く小説家がほとんどいなかったんですよね。母には「奈良時代の話は売れないよ」と言われました。でも、面白かったらいいんじゃないかと思ったし、それこそ書き下ろしなので書く段階では何のペイも発生しないから、書くだけ書いて駄目だったら駄目でいいじゃん、っていう気持ちでした。

――いきなり書けたんですか。

澤田:すごく時間はかかりました。ただ、実はその前に、小説宝石新人賞に奈良ものの短篇を送っていたんです。最終選考に残りましたが。それが50枚くらいだったので、あれを10倍にすれば500枚だな、って思ったんですよね。今思うと怖いもの知らずで無茶なこと考えていますね。

――天平宝宇年間、藤原清河の家に仕える高向斐麻呂が14歳で大学寮に入寮し、仲間たちと儒学を学んでいくけれど、政治の世界では仏教推進派が儒教派である大学寮出身者を排斥しはじめて...という。この設定を選んだのはどうしてですか。

澤田:その頃、高学歴ワーキングプアの問題が盛んに取り沙汰されていたんです。わたし自身も大学院は出たけれど働き口がないという、高学歴ワーキングプアの端っこに所属する人間だったので、そうしたものを書こうかなと。わたしは『孤鷹の天』で奈良時代版の『ぼくらの7日間戦争』がやりたかったんですよ。と思ったら全然違う話になったので、この話をしてもあまりウケない(笑)。

――その『孤鷹の天』で中山義秀文学賞を受賞されましたよね。今後プロの作家としてやっていこう、みたいな気持ちになりました?

澤田:いやあ、わたしは今でもプロ作家の自覚があまり......。

――え、今でもですか? 

澤田:よくないことなんですけれど。仕事だということは分かっているんですよ。でも、仕事意識がちょっと欠けているというか。ビジネスというより、好きなことをさせてもらっているという感覚が強いんですよね。編集者さんたちによく「澤田さん忙しいでしょう」と言われるんですが、忙しいというより楽しいという気持ちのほうが強いんです。あ、でも3か月くらい前にやっと、「あ、わたし忙しいんだ」と気付きました。

――3か月前ですか? それまでもずっとお忙しかったと思うのですが。

澤田:仕事って、もっとハードなもんじゃないだろうかっていう気持ちがありました。すごく傲慢な言い方になってしまいますが、世の中には走るのが速い人とか、ボールを遠くまで投げられる人とかがいるじゃないですか。わたしはそういうマッチングで考えるとどうやら文章は書けるらしい、書けるんだったら小説を書こうかな、みたいな流れで書き始めたので、作家になりたくて苦労したという時期がないんですよ。研究者としてのマッチングがうまいかなくて、文章を書くお仕事というところはマッチングできたんだな、ラッキーだな、という感覚です。新人賞で1回落ちましたが、それでも最初の投稿で最終選考までいきましたし。直木賞も受賞するまでは5回かかりましたが、何度も候補になれている段階でまあまあ評価いただけているんだろうなと思えましたし。だから、大変とか忙しいというより、お仕事なのにこんなに楽しくていいのかな、みたいな不思議な感覚があります。小説の仕事は大好きなんだと思います。

「デビュー後の読書生活」

――デビュー後の読書生活に変化はありますか。

澤田:やっぱり読める時間が減ったのは残念ですね。わたしはまだ書き手であるより読み手でいたい気分がどこかにあるんです。読む量が落ちたのはちょっと悔しい。

――とはいえ相当読まれていますよね。新刊もチェックされているそうですし。

澤田:出版社さんがいろんな新刊を送ってくださるので、嬉しくなって次々読みますね。先日も東京創元社さんからミステリーをいただいて、嬉しくて仕事そっちのけで読んでしまいました。あと時々、「どうしてこの本をくださるんだろう?」と思う書籍が届くこともあるんですが、そういう本は自分じゃ絶対に手に取らないので、ありがたく拝読します。ただ今年の3月いっぱいまで、朝日新聞の書評委員をやらせていただいているので、なかなか「この本面白かったよ!」とSNSなどではご紹介がしづらくて。4月以降は読んだ本のことをもっとあちらこちらに書こうと思っています。

 わたし、書評委員にしていただいた時に、夢が叶っちゃったと思ったんです。というのは、小さい頃から本だけを読んで暮らしていきたかったんですよ。書評委員になって、本を読んでお金がいただけるという意味で夢が叶って、それはすごく嬉しかったです。

――東京創元社から送られてくるのは、海外ミステリーですか?

澤田:いえ、日本のミステリーでした。歴史ミステリーも最近はいろいろありますよね。伊吹亜門さんのお作とか、平家ものを書いていらしゃる羽生飛鳥さんとか。

 このところミステリーに限らず、近現代の歴史的事象を扱う小説が増えた印象があります。この先、歴史小説の一部はゆるやかにそちらと溶け合っていくのかもなと考えています。加藤シゲアキさんの『なれのはて』もそうだし、朝日新聞の書評にも書いた辻堂ゆめさんの『山ぎは少し明かりて』は令和を生きる女子大学生と、そのお母さんとおばあちゃんの話で、おばあちゃんのパートは戦前くらいから平成くらいまでの通史でもあるんですよ。女三代記であると同時に、歴史ものだなと思いました。歴史を歴史として切り取るというより、個人史として切り取るような作品は今後増えていくと思います。

――東京創元社で思ったんですけれど、SFって読みますか。

澤田:新井素子さんや星新一さんはよく読んでいましたが、どこかで線を引いているようです。わたし、菅浩江さんのSFは読むんですけれど、メカものとかはあまり読まないですね。田中芳樹さんも『創竜伝』は読んだけれど『銀河英雄伝説』は読めていない。名作だと言われるので、いつか読もうと思って、とってあります。

――歴史・時代小説家でとりわけお好きな方はいますか。あらゆる方の作品を読んでいらっしゃいそうなので難しい質問な気がしますが。

澤田:そうですね、杉本苑子さん、吉村昭さん......。滝口康彦さんも好きだったんですが、お亡くなりになったので当然新作が供給されないし......。池波正太郎さんもテレビで「鬼平犯科帳」が始まった時に原作があると聞いて、他のお作も含めて全部読みましたし......。この分野の主だった作品は、ほとんど読んでいるとは思います。

――資料としてノンフィクションは読まれますか。

澤田:仕事においてはオリジナルにあたりたいので研究書は読みますけれど、ノンフィクションとかレポ的なものはそんなに読まないです。ただ、ありがたいことに書評委員のお仕事で自然発生的にノンフィクションも手に取るようになり、このジャンルも面白いなと思っているところです。

――いろんな時代のいろんな人物をいろんな切り口で書かれていますが、毎回どのように着想を得ているのですか。

澤田:「これはなんでそうなったのだろう」という疑問ですかね。たとえば、昨日も編集者さんたちと話していたんですけれど、鎌倉時代から室町時代にかけて古墳の盗掘がすごく増えるんですね。藤原定家も随筆にそのことを書いている。でもなんの技術もない時代にどうやって盗んでいたんだろうって思うんです。どういう人たちが盗んだのかすごく興味があって、これって小説にならないかなと思っています。自分が知りたいから書くところがあります。

――趣味の読書も仕事の研究書も含めて、蔵書が大変なことになっているのではないかと。

澤田:そうなんですよね。でも大学にまだ所属しているので、大学図書館を使わせていただいてもいるんです。それはとても助かっています。

――澤田さんが今でも大学で働き続けているのは、図書館が利用できたり教授に質問できるということもあると思いますが、以前、小説家として甘やかされて、そこに溺れて他のことが見えなくなるのが怖い、ともおっしゃていましたよね。

澤田:はい。出版社さんと仕事していると、小説家って大事にされるじゃないですか。それはよくないと思うんですよ。

――ここまでご活躍されていて、そう思い続けておられるとは。

澤田:だから作家の自覚が乏しいんですよね、まだ。結局そこに帰結しますね。

――プロになってから、同じように歴史について書かれている作家さんと交流も増えたのではないですか。

澤田:そうですね。中山義秀文学賞をいただくと、前の年の受賞者が授賞式にプレゼンターで来てくださるんですよ。それで前回受賞者の上田秀人さんとお近づきになり、わたしの次年にご受賞の西條奈加さんと親しくなりました。その3年後に義秀賞20回の集いがあった時、西條さんの次にご受賞の天野純希さんとも仲良くなり、西條さんと天野さんの3人でよく遊んでいます。それと、亡くなられた葉室麟さんが京都にお仕事場をお持ちだったので仲良くさせていただきました。そのご縁で朝井まかてさんと東山彰良さんとも親しくさせていただいています。

 でも、会っても自分たちの小説の話なんてしないですよ。西條さんと天野さんと集まった時は、天野さんイチオシのZ級映画の話をしたりしています。面白かった映画や小説や旅行の話で盛り上がったり。

――旅行もよく行かれるのですか。

澤田:はい。半分仕事で飛び回っているところがありますが、遠くに行くのは好きです。なので講演会に呼ばれたら、前泊後泊して、その近辺をうろうろしています。

――講演会のテーマって、やはり歴史関連が多いわけですか。

澤田:先さまの要望に応じて、いろいろです。感染症研究所のシンポジウムや関東大震災を書くというテーマの座談会にも登壇しますし......。

――ああ、感染症に関しては、澤田さんは『火定』で天平の世のパンデミックを書かれていますよね。謎の疫病、実は天然痘が流行って、その治療に当たる医師たちがいて、混乱に乗じて悪だくみする人たちがいて......という。地震というか災害については光文社の「小説宝石」で富士山噴火の話、『赫夜』を連載されている。

澤田:そうです、そういう繫がりですね。『赫夜』は夏に刊行する予定です。

「本を読んでつまらないと思った時は」

――あまりにも幅広く読まれているので、とりわけ好きな作家や好きな作品を挙げるのは難しいと思いますが、これまでに挙がったもの以外で、お好きな作品はありますか。

澤田:まず、これは誰にお目にかかっても推していますが、皆川博子さんの『総統の子ら』、あれは名作です。

 皆川さんは常に新しいジャンルに挑み続けていて、わたしもそういう書き手になりたいなと思います。皆川さんの直木賞受賞作『恋紅』が春陽文庫からリメイクされるそうで、先日、その推薦コメントをご依頼いただき、久々に読み返しました。いやあ、言葉の瑞々しさ生々しさに酔いしれました。あの色気はなかなか出せないと、改めて感服しました。

 あと、わたしにとって直木賞といえば、絶対的に小池真理子さんの『恋』なんですよね。自分が直木賞の候補になるたびに、あの作品と自作が並べる気がしないってずっと思っていました。歴史的な事件をすごく遠景に配した上で、個人の物語が書かれている。初めて読んだ時、すごいものを読んだと思いました。小池真理子さんは10代の頃から拝読して今も追いかけている方なんですけれど、皆川さん同様、どんどん新しいものを書かれていく。その姿勢にはただただすごいと思うばかりです。ここ最近では『神よ憐みたまえ』に打ちのめされました。

――それにしても、澤田さんって読むの速いですよね?

澤田:自分では分からないですけど、そうですかねえ?

――読んでつまらないと感じた本はありますか。そういう時も、最後まで読むのでしょうか。

澤田:つまらなく感じても、ひょっとしたら面白くなるかもしれないから一応最後まで読みます。そして最後は憎しみが募るっていう......。

――(笑)。みんなが褒めているのに自分はつまらなかった、ということはありますか。

澤田:あります。「わたしが悪かった?」みたいに思います。そういう時は、最近は信頼できる同業者に送りつけるんです。「お願いだから読んで。この感想はわたしだけじゃないと思うんだ」って。相手にしてみたらめっちゃ迷惑ですよね。「面白い本じゃなくて、つまらない本を薦めてくるのか」って。でも、それで感想を言い合って納得することもあります。

――1週間のスケジュールってどうなっているんですか。大学で働く日もあるわけですよね。

澤田:土曜日は10時から5時までアルバイトなので、それがまず完璧にフィックスされています。平日は一応普通に起きて、11時から6時くらいまでが仕事の予定です。実家を仕事場にしているのでそこに行くんですが、だいたい時間が足りないので家に持ち帰って、その後もやっています。それでも時間が足りなくて、結局日曜日も働いています。よくないですね。それもやっぱり、仕事だという意識が薄いことの弊害なんですよね。エッセイなんかはお腹に猫のせた姿勢で書いたりしていて。

――いつ本を読まれているのですか。

澤田:何かの合間合間はだいたい本を手に取っています。移動中だったり。東京に来る機会も多いので、新幹線の中で読んだり。それに、夜の休憩時間は、本を読んでいるかドラマを見るかのどちらかです。

――ああ、ドラマというのは、さきほどおっしゃった「愛していると言ってくれ」とかですよね。ドラマの時代劇は減りましたし。

澤田:それが今、「暴れん坊将軍」を地元ローカル局で放送中なんです。ですから録画してずっと追いかけています。あと、ちょっと前にディアゴスティーニで「暴れん坊将軍」シリーズの販売が始まったんですよ。全部揃えるとすごい冊数になるんですけれど、記念にと思って1巻だけ買いました。

「圧巻のエンターテイメント『のち更に咲く』」

――新作の『のち更に咲く』、めちゃくちゃ面白かったです。がっつりエンターテインメントで、一気読みしました。平安期、藤原道長の私邸、土御門第で女房として働く小紅が主人公。これは架空の人物で、藤原保昌と保輔の兄弟の妹という設定なんですよね。

澤田:ここのところ硬い歴史ものが続いたので、想像力を働かせた楽しいものが書きたいって思っていたんです。それで、編集者に「平安ものはどうですか。面白くするよ?」と言いまして。「平安だと紫式部といったきらびやかな才女がいるけれど、そうならなかった女の子の話はどうですか」「気になっている兄弟がいるんですけれど」って。

――ああ、保昌と保輔の兄弟のことですね。当時暗躍していた袴垂という盗賊の正体が保輔ではないかという噂も実際にあったんですね。

澤田:そうなんです。兄弟で経歴が異なりすぎていて、お互いに「こんな親族嫌だな」って思っていただろうなって(笑)。貴族でありながら盗賊という伝説のある弟と、道長四天王の一人で文武に優れた部下という兄って、すごく面白いと思っていました。それで連載を始めたんですが、編集者さんが「平安ものの大河ドラマが始まりますから2月に出しましょう」って言ってくださって。

――小紅が袴垂の噂を耳ににして動揺していた折、土御門第に盗賊が入る。自室を抜け出した小紅が暗闇で遭遇したのは......という。史実の裏側をこんなに面白い話に作り上げることができるのかと圧倒されました。謎あり、アクションあり、人間ドラマあり、恋の予感のキュンとする感じもありで、これはもうたまらんわ、っていう。

澤田:雑誌連載時の担当者さんが「こことこことはくっつかないんですか」「ここはラブですね」みたいなことをすごく仰るんです(笑)。わたしも「お、それはわたしにはない視点だったな」と思って、参考にさせていただきました。

――主人公とあの人とか、お兄さんと和泉式部とか。

澤田:和泉式部と保昌は、大人のツンデレですよね。保昌は西島秀俊でイメージしてくださいって担当者に言いました。たぶん、これを書いている時ずっと「きのう何食べた?」のドラマを見ていたからです。他の登場人物はあまりイメージはないんですけれど。

――謎の少女も出てきて、彼女はいったい誰の娘なんだっていう。そして最後はタイトルの意味を噛みしめることになりました。

澤田:最終回の100枚は、取材で出かけていた五島列島の福江島で書きました。書いているうちにこれって新たな謎じゃないか? という話が出てきて、自分の中で「これでは話が終わらない!」と狼狽しました。自分で言うのもなんですけれど、あの100枚を力技でまとめて、ちゃんとタイトルにも合わせられたのが不思議。でも書いていて楽しかったです。

――いやもう、本当に面白かったです。昨年秋に刊行された『月ぞ流るる』も平安時代が舞台で、『栄花物語』の作者、赤染衛門の話でしたね。

澤田:あれは本当ならもう少し後に刊行する予定だったんですが、大河ドラマにあわせて前倒しになりました。なので、『月ぞ流るる』と『のち更に咲く』の執筆時期は、3年ほど離れているんです。『月ぞ流るる』はやはり、赤染衛門という女性は平安文学執筆者の中でもちょっと影が薄いので、どんな人なのか知りたいという気持ちがありました。

 この人は何を考えていたんだろう、みたいなところから興味を引かれることは多いですね。こんな目に遭って、この人は何をどう思っていたんだろう、って。今ちょっと気になっているのが、吉村昭さんが『ニコライ遭難』で書かれた、ロシア皇帝ニコライ暗殺未遂の大津事件です。あの当時の日本では、反ロシア派の人間がかなりいたらしいんです。そんな人たちはきっと、犯人の警察官・津田三蔵ってあいつ誰? って思っていたんじゃないのかなと考えるんです。自分たちが暗殺しようとしていたのに先に手を出されちゃったよ、って。そういう人たちが何を考えてどう動いたのかは資料に載っていないので、知りたいんですよね。

――今後の刊行予定は、まず光文社から、平安時代の富士山噴火を描いた『赫夜』ですか。

澤田:『赫夜』は7月頃にようやく出せると思います。それと10月か11月くらいに、徳間書店から幕末の岡山県の話を出す予定です。幕末の物語って、奥羽越列藩同盟か薩長同盟か――佐幕か倒幕かという視点で書かれることが多いですが、その双方の間で揺れた備中高松藩の話です。この時代を描いたのはこの作品が初なんですが、連載がすごく楽しかったので、冬あたりからまた別の幕末ものの連載をやりたいなって思っています。

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