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ディーリア・オーエンズ「ザリガニの鳴くところ」 内に自然を抱えた少女の謎

 70歳近くで初めて刊行した小説が、各国で翻訳される。華々しいデビューの裏側には、長年動物学の分野で培ってきた、自然や生き物に関する豊かな見識と観察力が発揮されている。

 アメリカ南部の湿地帯にある粗末な小屋で、カイアという少女は暮らす。暴力的な夫から逃れてまず母が、そして兄弟が次々と去り、ついには父も行方知れずに。そもそも貧乏白人として村の共同体から弾かれ、就学機会すらなかったカイアには自分以外に頼れる者はない。

 沼に生きる孤独な少女に、周囲の森や潟湖(せきこ)は優しい。生息する鳥の美しい羽根は無聊(ぶりょう)を慰め、肉は工夫次第で食料となる。魚や貝を船の燃料代にかえるべく、商店を営む黒人夫婦に買い取ってもらうことも。

 もうひとり、助けとなるのが、兄の友人だったテイトだ。彼は、カイアに文字を教えるのだ。彼女は書物によって確実に世界を広げる。が、そうした平穏をやぶる因果の種となるのも、少女の成長のまばゆさだ。恋をしたテイトは、葛藤の末にカイアを置き去りにする。地元の青年チェイスもまた……。

 いくら渇望しても得られない愛、手をすり抜ける他者の信頼。重なる裏切りは、読者の胸をも締めつけるだろう。「カモメも、目の覚めるような夕陽も、とびきり珍しい貝殻も、その痛みの前では無力だった」

 物語は、沼地で見つかったある男の変死体をめぐって捜査の進むある冬と、カイアの成長過程、ふたつの時間を並行的に描き出していく。少女はいかに大人になり、孤独を飼いならすのか。殺人犯は誰なのか。

 教養が身を助け、詩が心を強くする。「愛もまた移ろうもの いつかはそれも、生まれるまえの場所へと戻っていく」

 すさまじい境遇を自分で切り拓(ひら)いたカイアの精神の気高さに、読者は畏敬(いけい)の念を抱くのではないか。犯人捜しの謎ときを超え、自分の内に「荒ぶる自然」を抱えた少女という存在の謎に、つよく魅了される。=朝日新聞2020年10月24日掲載

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 友廣純訳、早川書房・2090円=10刷3万7千部。3月刊。米国で700万部のベストセラー。「成長譚(たん)、ロマンス、ミステリーなど様々なジャンルの読者に訴求した」と担当者。

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