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どうでもよくないことに気づく「きみはだれかのどうでもいい人」 新井見枝香が薦める新刊文庫3冊

新井見枝香が薦める文庫この新刊!

  1. 『きみはだれかのどうでもいい人』 伊藤朱里著 小学館文庫 792円
  2. 『愛を知らない』 一木けい ポプラ文庫 748円
  3. 『国宝』(上=青春篇〈へん〉、下=花道篇) 吉田修一著 朝日文庫 各880円

 (1)同じ県税事務所に勤務する、4人の視点で綴(つづ)られた連作短篇(たんぺん)集。第1章では「納付促進初動担当」の中沢環が、窓口に乗り込んできた男に理不尽なことで怒鳴られる。職員の努力や事情など「お客様」にとってはどうでもいいことだ。賢く上昇志向の強い環は、正論を返すことだけが仕事ではないと理解している。しかし傷付けられた自分が、逆に人を傷付けることで、自分自身の「どうでもよくないこと」に気付いていく。

 (2)高校2年の涼は、クラスメートで遠い親戚の橙子(とうこ)に対し、いい印象を持ったことがない。昔から言動は支離滅裂で、協調性がなく、よく噓(うそ)を吐く。そんな彼女がクラスの合唱コンクールでソロパートを歌うことになり、案の定、周囲はかき乱される。しかし橙子の乱暴な物言いに隠された、切実な訴えに気付いた涼は、彼女の言葉が真実だという確信と、噓だと思いたい感情に心をかき乱される。絶望の底に沈む人にまで届く、橙子の歌声。そんな彼女は、本当に「愛を知らない」のだろうか。

 (3)昭和三十九年、大雪の元旦。長崎の老舗料亭「花丸」に、大量の酒と血が流れた。まるで舞台の一場面のような新年会は、そこで組長である父を殺された喜久雄が、類い希(まれ)なる美貌(びぼう)と役者の才能を持ち合わせたことから、極道ではなく梨園(りえん)の道をのぼり詰めていく、数奇な人生の始まりだった。彼の生き様をど迫力の上方歌舞伎で観(み)るような大河小説は、芝居だけに生きた男が舞台から見た景色とその境地を、想像せずにはいられない。=朝日新聞2021年10月9日掲載