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水中の考古学、光は届くか 困難多く低い認知度、関連本に期待

和歌山県串本町沖に沈んだトルコの軍艦エルトゥールル号の潜水調査=2008年

図解 地中海の交易船・特攻受け沈没した米軍艦…世界の写真が満載

 その対象は、引き揚げられた先史時代の土器から近代海戦の痕跡まで幅広く、沈没船や積み荷はもちろん、海に没した古代都市の遺構まで実に多彩。2月刊行の『図説 世界の水中遺跡』(グラフィック社)は、そんな世界中の水中歴史遺産を網羅した。編者のひとりで国立民族学博物館(大阪府吹田市)の小野林太郎准教授は「水中遺産の学術的価値や背景を世界規模で紹介する書物は少なかったように思う。最前線の成果がここに凝縮されている」と語る。

 香辛料や陶磁器を満載して海のシルクロードや地中海を往来した交易船、北の海を駆け巡ったバイキング船、華美な装飾が過ぎていきなり沈没したスウェーデン王朝のヴァーサ号、特攻で大破し沖縄の海に沈んだ米軍艦……。大ぶりなカラー写真が見る者を引きつけ、海や湖に刻まれた人類の足跡を実感させる。「水中遺跡の多様性は水に潜らないと見られない。具体的にイメージしてもらえるようビジュアルな面を心がけた」と、執筆の中心になった木村淳・東海大准教授。

 この分野で先行するのは欧米だが実は日本も歴史は古く、明治41(1908)年の長野県諏訪湖での縄文遺物発見にさかのぼる。大正13(1924)年には琵琶湖北部の葛籠尾崎(つづらおざき)湖底遺跡(滋賀県)で縄文土器などが引き揚げられ、日本における水中考古学の出発点として名高い。北海道江差沖に沈んだ幕末の軍艦、開陽丸の調査も有名だ。琵琶湖では総合開発の事前調査を通して100カ所以上の遺跡が確認され、立命館大などによる水中ロボットを駆使した調査も話題を呼んだ。

鮮やかなカラー写真が満載の『図説 世界の水中遺跡』と文化庁編集による『水中遺跡ハンドブック』。いずれも海洋ロマンと学術性、実務的要素を兼ね備えている

 ただ、全国的に関心は低調だ。開発にともなう行政発掘はほとんどなく、調査するにも潜水技術が必要でお金もかかる。活動時間は制限されて費用対効果は薄い。だから研究者も育たない、という悪循環。

 調査を担う自治体にとっても水中遺跡は遠い存在だ。文化庁が実施した市町村へのアンケートでは8割が水中遺跡の存在を把握しておらず、認識にばらつきもあった。47万カ所近い埋蔵文化財のなかで、現在知られている水中遺跡はたったの387カ所にすぎない。

ハンドブック 元寇船の国史跡指定が契機 文化庁が調査法を紹介

 だが、少しずつ風向きが変わりつつある。2011年、13世紀の日本を未曽有の恐怖に陥れたモンゴルの軍船が長崎県鷹島沖で確認され、翌年には海底遺跡で初の国史跡に。これを機に文化庁は、有識者による調査検討委員会を組織し、水中遺跡の扱いや調査方法を整備してきた。

 その成果が、同庁文化財第二課が編集して文化財関係者向けにこの春出した『水中遺跡ハンドブック』。無味乾燥になりがちな役所の冊子と違って全編カラーで、約280ページのボリュームにもかかわらず授業の副読本のように読みやすい。和歌山県の沖合で1890年に座礁したトルコの軍艦エルトゥールル号遭難事件をめぐる話などトリビアなコラムも楽しい。

 調査検討委員会(第2期)委員長で琉球大を拠点に鷹島元寇(げんこう)船の調査を手がけた池田栄史・国学院大教授は「とにかく水中遺跡に関心を持ってほしい。まずは行政の担当者に手にとってもらえるよう、わかりやすくした」と本書の活用を呼びかける。

 ユネスコ(国連教育科学文化機関)の水中文化遺産保護条約が2009年に発効し、海の文化遺産への関心は世界的に高まる。関連書の相次ぐ刊行も、それを後押ししそうだ。(編集委員・中村俊介)=朝日新聞2022年6月29日掲載