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澤田瞳子さん「恋ふらむ鳥は」インタビュー 歌人・額田王がもがき、働き、探した居場所

澤田瞳子さん

動乱の飛鳥「人間の意地や弱さ 歴史ころがす」

 額田王といえば、「茜(あかね)さす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守(のもり)は見ずや 君が袖振る」の歌を思い浮かべる人もいるだろう。知名度は抜群だが、生没年もわからず謎めく。

 そこで描いたのは「古代の女性官僚の原型としての額田王」である。額田王は娘をなした大海人王子(おおあまのみこ)と別れ、その兄、葛城王子(かつらぎのみこ)が腕を振るう宮城で宮人として熱心に勤める。「女性は古代から働いていた。女官として政治的な場面にかかわる時代は多かったのです」

 「茜さす」などの歌から恋多き女性というイメージもあるが、活躍したのは40歳ぐらいの時で孫もいた。「恋愛ばかりしていられる時代ではなかった」。白村江(はくすきのえ)の戦いから壬申(じんしん)の乱へなだれこむ時代のうねりの中に額田王はいた。

 当時としても、額田王の歌は個人の感情を強く打ち出しているという見方があり、澤田さんはある設定を作った。色が判別できないと。「自分が周りと違うと思わないと、個は出てこない。疎外感を感じるものとして色を考えた」

 「茜さす」も、秋山の木の葉を歌った一首も、色に焦点が当たっている。なぜか。わからないからではないか。逆説的推測だ。

 疎外感を抱え、額田王は居場所を探し続ける。政と戦の中で人間の欲望や敗北を目の当たりにし、ついに居場所に気づく。それは歌を詠む自分自身だった。

 「古しへに 恋ふらむ鳥は 杜鵑(ほととぎす) けだしや鳴きし 我が念(おも)へるごと」。額田王は昔を思う鳥に重ね、自分のために歌を詠むのだ。

 生き惑うのは額田王だけではない。弱気な大海人王子は妻の讃良王女(さららのひめみこ)に叱咤(しった)激励され、権力を手にする。兄の葛城王子は切れ者だが、中臣鎌足に死なれて取り乱す。「人間の意地や弱さが歴史をころがしていくんだと思います」

 病死する鎌足は述懐する。自分が死んでも、世は続いていくんだよと。「日々、様々なことが起きて怒りや悲しみがあるのに、歴史のほんの一部に過ぎない不可思議さ。クラクラするけれど、一瞬と思うとホッとするところもある」

 澤田さんは奈良仏教史の研究者を経て2010年に作家デビューし、昨夏、直木賞を受賞した。「歴史の資料に一文しか名前が出ない人も、我々と同じ人間なんだと伝えたい。その人がなぜ、そのようなことをしたのか知りたい」。それが小説を書く原動力だ。

 その人物が生きた時代を描き出したいという澤田さん。額田王の時代をどうとらえるのか。

 「現代の政治家がやっている綱渡りと変わりがない気がする。万葉集を読んでも、私たちと同じように悩み苦しんでいるのがわかる。古代は遠いけれど、我々と地続きなんだと思います。人類の歴史は、様々な出来事を乗り越えて、らせん階段を上り下りしているのでは。変化はしているけれど、のぞきこむと、前も同じことをやっていたねという気がするのです」(河合真美江)朝日新聞2022年8月31日掲載