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三浦しをんさんエッセー集「しんがりで寝ています」 可笑しくも愛しい「日常」伝える

三浦しをん『しんがりで寝ています』(集英社)

五右衛門風呂的絶望

 室内で観葉植物をいくつか育てている。放任主義の子育て(?)がよかったのか、どの植物もぐんぐん枝をのばし葉を繁らせる。ひさしぶりに拙宅に遊びにきた友人に、「なんかすごく植物が大きくなってるよ!?」と驚かれたほどだ。毎日一緒に暮らしていると植物の成長に気づきにくく、「どうも最近、部屋が狭くてならない感があるのだが、私また太ったのかな」と思っていた。

 部屋が縮小して感じられる原因は、「植物の成長」だと判明した。むろん、私の体積の増加はまったく関係していないと真に言えるのかについては、検証の余地がある。だが精神の安寧を得るため、長らく体重計の電池を抜いたままにしているので、その件はいまは措いておこう。

 問題は、植物の成長に鉢の大きさが追いついていないことだ。ここ最近、もしや根づまりの危機に瀕しているのではと懸念される事象が見受けられる(葉っぱの状態など)。これまでも、大事に育てた観葉植物を根づまりで枯らしてきた実績のある私だ。悲劇を繰り返さぬためにも、早急に植え替えをしなければならない。

 私の背丈を超えるぐらい育った植物もいるので、植え替えをするとなると相当の労力がかかると予想され、腰が割れるんじゃないかと心配だ。というか、これ以上鉢を大きくしたら、室内に私が存在できるスペースがもうないんじゃないか? だが、いたしかたない。植物の命のほうが大切だ。スペースの問題なぞ些細なことで、いざとなったら私は観葉植物によじ登って樹上で暮らせばいいのだ(枝が折れそうだが)。

 さっそく、現状の鉢のサイズを測り、通販サイトで吟味に吟味を重ねたうえで、ひとまわり大きいと思われるサイズの鉢を、「これだ!」と購入。サイズアップすることで何リットルの土が必要になるかも計算し、「赤玉と鹿沼を合計十リットル!」と購入(いずれも園芸用の土の名前です。ブレンドして水はけ具合を調整します)。

 我ながら万全だ。狭いベランダでいかに効率よく植え替え作業をするか、脳内シミュレーションも怠りなく、新たな鉢の到着を待った。

 そしていま、注文した鉢が届いたのだが……、絶望的な気持ちだ。「ひとまわり大きい」鉢を頼んだつもりなのに、実物を目のまえにしてみると、屈葬用の棺桶か五右衛門風呂ぐらいはあるビッグサイズだったからだ。

 なんでこんなことになった!? これを部屋に置くとしたら、私が鉢のなかで暮らすしか選択肢がないよ!

 昔から私の車幅感覚というかスケール感はおかしくて、「何メートルさきにある」とか、「五十メートル級の怪獣」とか言われても、ぜんっぜんピンと来たためしがない。そのせいで今回も、きちんと鉢を計測し、「ひとまわり大きいとなると、このサイズかな」と熟考したにもかかわらず、三まわりは大きいものを選んでしまったのである。

 こんなでかいもんを運搬してくれた人々のことを思うと、「返品したい」とは申し入れにくい。「はあ!? なんでちゃんと測ってから注文しないんだよ!(すみません、測りはしたんですが、当方の車幅感覚が……) 寝ぼけたこと言ってんじゃねえ!」と、五右衛門風呂的植木鉢を用いて釜茹での刑にされても文句は言えぬ所業だろう。

 同時期に到着した十リットルぶんの土を、試みに袋ごと五右衛門風呂にそっと入れてみた。鉢内の空間が有り余っている。これ、あと五十リットルぶんぐらい土が必要だよ! 昔から計算も苦手なのだ。本当に絶望的な気持ちだ。

 私は届いた鉢をひとまず部屋の隅にずりずりと押しやり、かろうじて残ったスペースで体育座りをした。身動きが取れない。この窮地を脱するには……、プロに頼むほかない! つまり、植木屋さんか花屋さんに観葉植物の植え替えを依頼し、サイズ感の合った鉢も見つくろってもらうのだ。そして、このバカでかい鉢はベランダに置き、外で鉢植えとして育てるにふさわしい木を見つくろってもらおう。今度はベランダのスペースに余裕がなくなってしまうが、八方を丸く収めるには、もうこれ以外の策が思い浮かばない。

 金で解決、か……。汚い大人になっちまったもんだぜ。と思うも、植え替えは植物にとって手術のようなもの。手術をプロの医者以外に任せたがるひとはそうはいるまい。私のような園芸のド素人、しかも車幅感覚に途方もない難があるものが、それなりの大きさに育った観葉植物の植え替えを自力で行おうとしたことが、そもそも太いまちがいだったのだ。ここは素直に、プロに依頼だ!

 体育座りしたままスマホをポケットから取りだし、自宅周辺の植木屋さんと花屋さんをぽちぽちと検索。どこかに植え替えを引き受けてくれるお店は……。ええい、かたわらの五右衛門風呂と頭上から覆いかぶさってくる観葉植物の葉っぱが邪魔で、スマホの操作にすら支障があるぞ。

 あ、でも、いま地震が来たら、五右衛門風呂を逆さにして、ヘルメットがわりに頭からかぶればいいんじゃないかな(ポジティブシンキング)。ぎゅっと身を縮めれば、体育座りした私の腹ぐらいまではカバーできそうだ。植木鉢だから底にドカーンと穴あいてるけど。ダメじゃん!(さしものポジティブシンキングも敗北)

追記:でも穴があいてるから、釜茹での刑になっても平気!(ポジティブシンキング復活)

三浦しをんさんから

――まず「五右衛門風呂的絶望」を選ばれたのはなぜですか。

 誤ったサイズの植木鉢を買ってしまったエピソードで、話はすべて室内で完結しています。室内にいるだけなのに、こんなにもアホなことをしでかせる人間っているもんなんだなあ。その点をご堪能いただきつつ、植木鉢を買う際の参考と教訓になれば幸いです。

――読んで、吹き出したエッセーがいくつもありました。コロナ禍の不安な状況のなかで書かれたエッセーとは思えません。エッセーを書く楽しさ(読む楽しさ)を教えてください。

 エッセーを読む楽しさは、自分以外のひとの日常を垣間見たり、考えかたや生の感情の動きに触れたりできることかなと、個人的には思っています。他人の日記を公然と覗き見する感覚というか。
 なので私自身がエッセーを書くときも、なるべく虚飾せずに日常を開陳しています。そのほうが読者のかたに愉快な気持ちになっていただけるかなと思うし、正直に書くことで自分の生活のダメぶりも浮き彫りになって、「このままじゃいけない。まっとうな人間になるぞ!」って反省の思いが高まるので。まあ、その反省をつぎに活かせたことがないのですが。

――「好書好日」は読書好きの人が集まる本の情報サイトです。三浦さんの今後の作品の刊行予定なども含め、読者へのメッセージをお願いします。

『しんがりで寝ています』には、今回掲載していただいた「五右衞門風呂的絶望」の後日譚をはじめ、書き下ろしエッセーも大ボリュームで収録されています。日常の隙間時間に、気楽にお読みいただけるエッセー集ですので、ぜひお手に取ってみていただければ幸いです。
 今年はほかに、長編小説の新刊を予定しています。短編集も二冊ほど出したいなと思っていて、これはいつになるかわかりませんが、せっせと書き溜めているところです。本屋さんで見かけることがありましたら、どうぞよろしくお願いいたします。