書評・最新書評

柳宗悦を支えて―声楽と民藝の母・柳兼子の生涯 [著]小池静子

[評者]横尾忠則(美術家)

[掲載]2010年01月31日

[ジャンル]ノンフィクション・評伝

表紙画像


■夫支え音楽に生きる鬼気迫る姿

 本書は民芸運動にその生涯を捧(ささ)げた哲学者であり美学者の柳宗悦の妻、兼子の激動の一生を綴(つづ)った評伝である。著者小池静子氏は声楽家の兼子に師事。師弟ゆえに語られた数々の内密のエピソードを通して、人間宗悦が波乱に満ちた兼子の人生の背後から怪物ゴーレムのようにむくむくと浮かび上がってくる。
 著者の抑制の利いた平易な語り口は余計な説明や評価を一切排し、まるで画家が肖像画の外面を克明に描写すればするほどその内面の真実が表出するように、不思議な魔力によって兼子の92年にわたる長い人生が物語られるが、全編に流れるのは彼女の鬼気迫る生き様である。
 なんとも形容しがたい骨身が削られるような苦痛と歓喜が背中合わせになって、兼子の姿がまるで二河白道(にがびゃくどう)を渡る亡者と重なるのだが、向こう岸で手をさしのべる阿弥陀仏の姿は兼子の視界にはない。夫と芸術という二者択一さえ許されない自らが選んだ運命を、命がけで生き抜く常人の域を超えた彼女の本能の技に、芸術家のすさまじい業を見る思いである。
 夫宗悦の民芸への驚くべき執念に対して、兼子は心血を注いで自らの芸術と宗悦への献身に身を焦がす。にもかかわらず宗悦の理由なき(?)癇癪(かんしゃく)玉は常に兼子に向けられ発砲される。婚前時期の何百通に及ぶ宗悦の恋文の真実はことごとく裏切られ、兼子自ら、夫の理不尽なエゴの犠牲者なのだと妄想する。嫉妬(しっと)と怒りが猛(たけ)り狂うなか、彼女は死を思う。だけど彼女を死から救ったのは彼女の西洋音楽に対する芸術魂であった。
 夫宗悦の桁外(けたはず)れのエゴを許す兼子の苦悩と、夫の民芸運動への共感が、彼女の中で未消化のまま肥大化していく。夫婦としての実体はすでにない。兼子のリアリティーがことごとく幻想をぶち壊す。互いに相手に求める感情は同じでも、二人の強烈な個性がそれを許さない。そこにはどうしても素直になれない照れが存在していて、結局は兼子の求める「西洋」と宗悦の求める「日本」の対決が二人の間を引き裂くと同時に、皮肉にも互いの芸術を高めていく。
     *
 現代書館・1890円/こいけ・しずこ 国立音楽大声楽科卒。89年刊の『柳兼子の生涯』を大幅に改稿。

関連記事

ページトップへ戻る