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映画は絵画のように―静止・運動・時間 [著]岡田温司

[評者]五十嵐太郎(建築批評家・東北大学教授)

[掲載]2015年08月23日

[ジャンル]アート・ファッション・芸能

表紙画像

■野心的イメージ論、的確な記述で

 オリンピックのエンブレム問題が引き金になって、ネット上ではデザインのコピペ探しが過熱している。その様子を眺めていると、創作とは100%オリジナルであるという誤解が意外に根強いと改めて思う。本書は、映画が過去の絵画や彫刻からどのような着想をえたり、類似のイメージを共有したか、あるいは映画が現代美術に先駆けたことを、膨大な事例をもとに論じる。だが、ここでパクリという侮蔑的な表現は使われない。
 誕生して100年以上過ぎた映画、そしてルネサンスから数えても600年近い歴史をもつ絵画。当然、映画はゼロから出発したわけではない。画家の築いた手法や構図の宝庫は、同じ視覚芸術である映画に継承され、様々に展開した。著者は西洋美術史の研究者である。ゆえに、基本的には美術的な視点から読み解く映画論になっているが、同時に映画を通じて美術の意味も再読し、神話のエピソードと共通する人類の抱くイメージの普遍性を視野に入れる。
 理論編というべき第1章は主要な映画論と絵画論を整理しながら、両者の接点を探る。残りの6章は、それぞれ影、鏡、肖像画、彫刻、活人画(扮装した人間が絵画のようなポーズをとること)、抽象画のテーマを扱う。いずれも的確なディスクリプション(作品記述)によって、その創成期から映画が絵画と深い関係をもっていたことを指摘する。作品を挙げると、肖像画と横顔をめぐるヒチコック「めまい」のほか、タルコフスキー「鏡」、ロッセリーニ「イタリア旅行」、ゴダールの「軽蔑」や「パッション」、アントニオーニ「赤い砂漠」などである。
 映画と絵画、それぞれの見方を変えてくれるような意欲作だ。ただし、最近のハリウッド映画、邦画、あるいは芸術的な作品を撮るキューブリックやグリーナウェイなどはない。この野心的なイメージ論は今後さらに包括的な領域で検証することが可能だろう。
    ◇ 
 岩波書店・3132円/おかだ・あつし 54年生まれ。京都大教授。『イメージの根源へ』『フロイトのイタリア』など。


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