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手話を生きる―少数言語が多数派日本語と出会うところで [著]斉藤道雄

[評者]星野智幸(小説家)

[掲載]2016年05月01日

[ジャンル]政治 社会 ノンフィクション・評伝

表紙画像

■ろう者の表現を取り戻すために

 「ろう者とは、日本手話という、日本語とは異なる言語を話す、言語的少数者である」
 本書の中ほどで紹介されている、ろう者による1995年のこの輝かしい宣言を読んだとき、私にとって世界は急拡大した。
 手話には「日本手話」と「日本語対応手話」の2種類があるという。後者は日本語の一部を手の仕草(しぐさ)に置き換えたもの。前者の日本手話は、日本語とはまったく構造の異なる、外国語と同様の、独立した言語なのだ。
 ろう者の間で自然発生し、長い時間をかけて完成した独自の言語であるこの手話は、ろう者の言語教育の中で、使うべきではない劣った方法として、徹底して抑圧されてきた。なぜなら、日本語ではない以上、日本社会では通じないから。
 1世紀近くにわたって主流だったのは、口話法だ。聴者(耳の聞こえる人)の口の形を真似(まね)ながら発声を学び、日本語の読み書きを覚える。耳の聞こえない人が、聞こえるという前提に無理やり合わせさせられる苦痛と屈辱は、軽い難聴の私でもしばしば経験する。
 この結果、言語の発達期である幼少期に十分な言語能力を身につけることができず、思考力認知力に問題を抱えたまま大人になるケースは多いのだという。
 この失敗を受けて手話の導入が始まるのだが、主流となったのは日本語対応手話だった。ろう者からすれば、情報のやり取りはできても、細かな感情やニュアンスを表現はできない、不完全な言語である。ここでもまた、聴者目線の日本語前提が立ちはだかった。
 ろう者が劣等意識から解放され、十全な言語表現能力を持つために必要なのは、自分たちにとって最も自然な言語である日本手話を「母語」として習得することだという。その上で日本語を学んでバイリンガルとなったとき、ろう者と聴者は初めて対等になれるのだ。手話による文学の登場という著者の夢を、私も今、共有している。
    ◇
 さいとう・みちお 47年生まれ。ジャーナリスト。『もうひとつの手話』『希望のがん治療』など。

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