20歳のとき、遺伝子を記録するDNAという物質に出会って以来60年、生命の本質に迫ってきた。「伝えたいのは、人間も自然のなかで見れば、実は『小さき生きもの』だということ」。雑誌や新聞などに発表した21編の文章を編んだ本書にも、そうした思いが込められている。
生命科学者ではなく、「生命誌研究者」を名乗る。15年前から館長を務めるJT生命誌研究館(大阪府高槻市)では、チョウやクモといった身近な生きものを通して進化の歴史をたどる。「地球上の生きものはすべて、38億年前の海に誕生した細胞を祖先とする仲間。彼らの歴史物語に耳を傾け、生きているとはどういうことか、どんな社会をつくっていくのか、探索するのが生命誌です」
啓発や普及という言葉を研究館では禁句にした。「本当に大事だと思うことを、みんなが共感する形で、美しく表現したい」からだ。生きものの歴史やつながりを色鮮やかな絵巻で表したり、音楽劇にしたり。東日本大震災後は宮澤賢治の作品を読み返し、2014年に「セロ弾きのゴーシュ」を音楽劇として上演した。震災を機に暮らしや社会を変えようという機運が高まったのに、ますます利便性を求め、競争を加速させている現状を問う舞台となった。
本書を締めくくる一編で、小説『あしながおじさん』の一節に触れた。主人公の少女は、生活の一秒一秒を楽しむと宣言し、「大概の人たちは、ほんとうの生活をしていません。彼らはただ競争しているのです」とつづる。「いまの私の思いと重なる言葉」と話し、インタビューのさなか、読み上げてくれた。
晩ご飯の献立を考えたり、子どもがダンゴムシと遊ぶ姿を見守ったり、「毎日の暮らしを大事にすることが、いのちを大切にする社会につながる」と自身の子育て経験からも感じている。
週末は東京の自宅に帰り、庭仕事を楽しむ。年齢を感じさせないフットワークの軽さに驚かされる。好奇心いっぱいの少女が、この人のなかに息づいている。(佐々波幸子)=朝日新聞2017年04月16日掲載
編集部一押し!
- コミック・セレクト 「かまくらBAKE猫倶楽部」 幻想が見え隠れ、絶妙な読み味 ササキバラ・ゴウ
-
- コラム 「東京となかよくなりたくて」背伸びも気負いも、いつか懐かしく思い出す50のストーリー 好書好日編集部
-
- 新作映画、もっと楽しむ 映画「陰陽師0」奈緒さんインタビュー 平安時代の女王役「負の感情を『陽』に。自分の道は変えられる」 根津香菜子
- 新作映画、もっと楽しむ 「劇場版ブルーロック –EPISODE 凪-」声優・浦和希さんインタビュー「背中を押してくれるエールが詰まっている」 五月女菜穂
- 中江有里の「開け!本の扉。ときどき野球も」 生きるために、変化を恐れない。迷いが消えた福岡伸一「生物と無生物のあいだ」 中江有里の「開け!野球の扉」 #13 中江有里
- 図鑑の中の小宇宙 「すごすぎる絵画の図鑑」 フェルメールの名画の黄色の正体は…… 岩本恵美
- インタビュー 新井紀子さん×山本康一さん対談(後編) 辞書は民主主義のよりどころ PR by 三省堂
- インタビュー 新井紀子さん×山本康一さん対談(前編) 「AI時代」の辞書の役割とは PR by 三省堂
- インタビュー 村山由佳さん「二人キリ」インタビュー 性愛の極北に至ったはみ出し者の純粋さに向き合う PR by 集英社
- 朝日ブックアカデミー 専門外の本を読もう 鈴木哲也・京大学術出版会編集長が語る「学術書の読み方」 PR by 京都大学学術出版会
- 朝日ブックアカデミー 獣医師の仕事に胸が熱く 藤岡陽子さんが語る執筆の舞台裏 「リラの花咲くけものみち」刊行記念トークイベント PR by 光文社
- 朝日ブックアカデミー 内なる読者を大切に 月村了衛さんが語る「作家とはなにか」 「半暮刻」刊行記念トークイベント PR by 双葉社