1. HOME
  2. 書評
  3. 「怠ける権利!」書評 何かの「ため」にすることを拒む

「怠ける権利!」書評 何かの「ため」にすることを拒む

評者: 間宮陽介 / 朝⽇新聞掲載:2018年08月25日
怠ける権利! 過労死寸前の日本社会を救う10章 著者:小谷 敏 出版社:高文研 ジャンル:社会・時事

ISBN: 9784874986530
発売⽇: 2018/07/10
サイズ: 20cm/350p

怠ける権利! 過労死寸前の日本社会を救う10章 [著]小谷敏

 怠けることは善悪でいえば悪、肯定的な意味は含まれない。しかし、本書の著者は価値を転倒させ、「怠ける権利」を主張する。
 その背景には産業革命以来の技術革新がある。今日、1日3時間も働けば、人間は生きていくに足るだけの物財を生産することができる、という人もいる。AIの開発がさらに進めば、この時間は劇的に短縮されるだろう。すでに19世紀末、フランスの社会主義者ポール・ラファルグは、1日3時間も働けば生きていくに十分であり、残りの時間は旨いものを食べ、怠けて暮らすように努めねばならない、と「怠ける権利」を主張していた。
 しかし、本書を読み進んでいくうちに、「怠ける」のもうひとつの顔が見えてくる。怠けるというのは必ずしも無為徒食の生活を送ることを意味しない。最終章に水木しげるの「幸福になるための七箇条」が掲げられているが、そこには、「しないではいられないことをし続けなさい」という項目が「なまけ者になりなさい」という項目と併記されているのである。
 怠けるとは何もしないことではなく、何々の「ため」にすることを拒むこと、好奇心の赴くままに何かを追求することである。著者はこの好奇心をいうために、「アイドル・キュリオシティ」という言葉を引いている。ここでの「アイドル」は怠惰ではなく、アイドリングのアイドル、すなわち目的・手段の連関から自由なことを意味する。
 本書の趣旨を理解するためには、勤勉と怠惰の二分法を、目的・手段の連鎖がつくる世界(日常世界)とその枠外にある世界(非日常世界)という二分法に置き換える必要がある。非日常世界を「遊び」として論じたホイジンガの『ホモ・ルーデンス』は、道具的効率性(生産性!)が遊びの世界の自由を侵食するファシズムへの批判として書かれた。このことは本書を読むさいに想起されるべきだろう。
    ◇
 こたに・さとし 1956年生まれ。大妻女子大教授(現代文化論)。著書に『ジェラシーが支配する国』など。