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「前世は兎」書評 非人情こそ人間的という逆転

評者: 都甲幸治 / 朝⽇新聞掲載:2018年12月22日
前世は兎 著者:吉村萬壱 出版社:集英社 ジャンル:小説

ISBN: 9784087711554
発売⽇: 2018/10/26
サイズ: 20cm/189p

前世は兎 [著]吉村萬壱

 人間とは、なんと奇妙な生き物なのか。表題作の主人公は動物目線でしみじみ思う。彼女の前世は兎(うさぎ)で、人として生まれても違和感は消えない。だから、テーブルを見れば余計だと考え、自分にも名前があることに苦痛を抱く。それだけではない。膨大な数の言葉がびっしり並んだ百科事典に薄気味の悪さを覚える。
 兎は世界を一つの全体として経験している。なのに人間は言葉で摑もうとするのか。しかも取り逃がすだけなのに。彼女は兎の本能に従い、早い時期から膨大な回数のセックスをする。そして担任の教師など、彼女に群がる男たちは、そこに愛という観念を読み取ろうとして破滅する。
 親にしてもそうだ。勘当してもなお、風俗産業で生き延びる彼女が気にくわない。だが彼女は言う。「動物の世界ではセックス出来る個体が親の庇護を受ける事などありません」。そして彼女の言葉が生き物としての真理なら、人間とはなんと狂った動物なのか。
 吉村は徹底して非人情の立場から、人間の姿を描いてきた。だから、『臣女』では巨大化していく妻の下の世話が延々と語られる。『回遊人』では、下卑た欲望を満たすべく、主人公は何度も生まれ変わる。なぜ吉村はそうしたものを書くのか。立派な言葉に満たされたこの社会が、あまりに欺瞞的だからだ。
 だから、謎の汚染源に侵された世界で「ランナー」の登場人物たちは、全体のために死ね、という命令を拒む。「宗教」の主人公は、誰に理解されずとも、自分の気持ちよさを追求する。なぜか。体の感覚に根差した動物的な視線でしか、この人間社会を批判できないからだ。そしてそのとき、非人情こそが最も人間的だという逆転が起こる。
 私的な領域について語りながら、現代社会と正面からぶつかる。こうした文学の毒を保ち続ける吉村は、今の日本では希有な書き手だ。その危険な作品から学ぶことは多い。
    ◇
 よしむら・まんいち 1961年生まれ。学校教諭を経て作家に。「ハリガネムシ」で芥川賞。『ボラード病』など。