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【本棚の常備薬】#4 愛に生きる 運命に抗う強さとしたたかさ 翻訳家・鴻巣友季子

「こずえで恋詩」安井寿磨子作オブジェ

 「常備薬」として恋愛物の古典を選んでみたら、「劇薬」が多くなってしまった。恋とは、あらゆる苦しみを忘れさせる魔法の薬でもあり、あらゆる苦しみの元になり、人の命を危うくする毒薬でもある。

 世紀の恋愛小説と言われるような作品を多く翻訳してきた。E・ブロンテ『嵐が丘』、M・ミッチェル『風と共に去りぬ』、目下はシェイクスピア『ロミオとジュリエット』の小説版の翻案に挑戦中だ。

いまどきの2人

 そうした経験からわかってきたことだが、恋愛物の名作は往々にして恋愛以外の部分にも、普遍的で強力なメッセージを擁する。だから、恋や愛の陰影が深まり、人々の心に強く長く作用するのだ。ただ泣かせようという作品は薬効の回りは速くても、あっけなく効き目が切れる。

 たとえば、超のつく有名作にして、文字通りの劇薬恋愛物『ロミオとジュリエット』。ジュリエットがバルコニーで、「ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」とつぶやく場面が特に有名だ。そのせいか、ジュリエットはか弱く、夢見がちな、ふわふわした女の子だと一般に思われてはいないだろうか? いやいや、ジュリエットは大したリアリストである。私も翻訳して初めて気づいたが、ロミオとの関係を終始リードしていくのは彼女の方。拙訳では、型にはまった求愛しかできない彼に、教科書通りのやり方はもう結構とか、自分の言葉で話してなどと迫る。実は、「求婚」「結婚」「挙式」といったキーワードも、すべてジュリエットの方からさらりと口にし、ふたりの関係は彼女にてきぱきと仕切られて進行していく。いまどきのカップルを見ているよう。恋人との仲が停滞気味の人は、よかったらご参考に(結末は真似〈まね〉ないで)。

 この恋愛劇の大古典が孕(はら)みもつテーマとして、現代の読者に重要なのは、これが「大人に殺される子どもたちの物語」でもあることだと思う。主人公たちは13歳から17歳ぐらい。ロミオとジュリエットは死んで神々しい伝説と化したが、本当は死ななくていい若者が社会に追いつめられて死んでしまう話である。大人が始めた戦争で死んでいくのはいつも若者なのだ。

闘う現実主義者

 『嵐が丘』も“ピュアな”恋愛物語に見えるが、実はそうとう世知辛いドラマである。キャサリンが魂の片割れヒースクリフではなく、裕福なエドガーと結婚したのは、女子には相続権を与えない限嗣(げんし)相続制を敷くイギリスの田舎で、彼女がとりうる最善の策略だったから。エドガーと結婚し、夫の財力でヒースクリフに援助しようともくろむ彼女も、またリアリストだ。ちなみに、この関係図は、後世の『風と共に去りぬ』でスカーレット、アシュリ、レットの関係にそのまま引き継がれる。“純愛”に疲れたかたは読みましょう。愛とは清濁併せ呑(の)むことだと教えてくれるかも。

 『嵐が丘』を作中劇として鮮やかに甦(よみがえ)らせたのが、演劇漫画の決定版、美内すずえ『ガラスの仮面』だ。連載開始の1976年から40年以上を経て、未完。「おそろしい子!」などの名セリフが時代を超えて愛されている。貧しい育ちの少女、北島マヤが天才女優として開花していく過程を描くが、大手芸能プロの冷徹な若社長とマヤの禁断の恋がまた読みどころだ。異色の2人は、天与の才を背負ったアマデウスと、たえざる努力の才人サリエリをも思わせる。「自分とこんなにかけ離れた人を好きになるなんて」と悩む人の心に深々としみるはず。

 世界中で、恋愛結婚の内実を最初に描いたのは、19世紀イギリスの女性作家だと私は思っている。その金字塔の一つがJ・オースティン『高慢と偏見』。結婚戦線における熾烈(しれつ)な“マウンティング合戦”にも、女性にそんな滑稽な闘いを強いる社会への批評が込められていることをお見逃しなく。いわゆる格上の相手に媚(こ)びず、対等に認めあうことで、格差を乗りこえるエリザベスに勇気を与えられる。

 これらのヒロインたちは、運命に抗(あらが)って生きる強さ、愛する人のために行動を起こすしたたかさを備えている。癒やしのサプリというより、一度読んだら抜けだせない麻薬のような本ばかりのご紹介となった。=朝日新聞2019年8月24日掲載