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「仮面の陰に あるいは女の力」 別名義で書いた 抑圧への復讐譚 朝日新聞書評から

評者: 大矢博子 / 朝⽇新聞掲載:2021年05月01日
仮面の陰に あるいは女の力 (ルリユール叢書) 著者:ルイザ・メイ・オルコット 出版社:幻戯書房 ジャンル:欧米の小説・文学

ISBN: 9784864882163
発売⽇: 2021/02/26
サイズ: 19cm/268p

「仮面の陰に あるいは女の力」 [著]ルイザ・メイ・オルコット

 『若草物語』といえば読んだことのない人でもタイトルは知っているほどの有名作だ。そのためオルコットは児童文学のイメージが強い。だが『若草物語』以前の彼女は煽情(せんじょう)小説の書き手だった。
 煽情小説とはセンセーショナルな犯罪や復讐(ふくしゅう)、謀略、ロマンスなどを扱った娯楽性の強い作品のこと。別名義で発表されていたこれらの作品群がオルコットのものと判明したのは、死後半世紀以上過ぎた1943年のことだった。
 中でも代表的なものが『若草物語』の2年前にA・M・バーナード名義で発表された本書である。
 イギリス貴族のコヴェントリー家に、ジーン・ミュアと名乗る女性が住み込みの家庭教師(ガヴァネス)として雇われる。ジーンは巧みな話術や音楽の才能、洗練された振る舞いなどで一家をたちまち魅了するが、実は彼女には身分の高い男性の妻におさまるという目的があった。そのため年齢も出自も過去も偽ってこの家にやってきたのだ。
 目論見(もくろみ)通り、ジーンは一家の若き兄弟と隣の屋敷に住むおじを、それぞれの性格に合わせた戦略で次々と籠絡(ろうらく)していく。この手練手管がまず読みどころ。そして作戦も大詰めに差し掛かったところで正体暴露の危機が――という実にスリリングな展開が待っている。
 ガヴァネス小説の名作『ジェーン・エア』と似た名前のヒロインがその機知と悪巧みでのし上がる物語の面白さもさることながら、注目願いたいのは当時の階級社会のリアルと女性の立場だ。
 家庭教師は中流以上の婦人が就ける職業で、階級的誇りもある。だが女性が働くこと自体が軽蔑の対象であり、実態は使用人と変わらない。作中にも家庭教師というだけで低く見られる描写が随所にある。そんな中でジーンは、従順な天使という男性たちが抱く理想の女性像を敢(あ)えて演じることで、彼らを手玉に取る。これは、蔑(さげす)まれてきた女の復讐譚(たん)なのである。
 オルコットは『若草物語』のような少女小説より煽情小説を書く方が好きだったと語っている。代表作以外に女性の抵抗を描いた作品を持つ児童文学作家は、実はオルコットだけではない。
 『赤毛のアン』のモンゴメリは『青い城』の中で、抑圧され続けていた女性があるきっかけで一気にタガがはずれる様子を痛快に描いた。『あしながおじさん』のウェブスターは『続あしながおじさん』の中で、仕事の面白さに目覚めて婚約者を捨てる女性を主人公に据えた。本書を含め、約100年から150年前の作品ばかりだが、今もリアルに読めることに驚きを禁じ得ない。
 児童文学という仮面の陰で女の力を発揮した作品群を、この機会にぜひ手にとっていただきたい
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Louisa May Alcott 1832~88。19世紀を代表する米国の女性作家。ペンシルベニア州に生まれ、南北戦争では北軍の看護師として従軍。その後、自身の姉妹をモデルにした『若草物語』で人気を博した。