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惣領冬実「チェーザレ」 ルネサンスの英雄、華麗な美術絵巻

『チェーザレ 破壊の創造者』 惣領冬実著 全13巻(講談社)

 惣領(そうりょう)冬実の『チェーザレ』が完結しました。16年かけて全13巻。厳密な時代考証と精緻(せいち)な作画のために、最後の数巻は3、4年に1巻というスローペースになっていました。作者は創造のエネルギーを投入し尽くしてここで完了ということにしたのでしょう。それにしても凄(すさ)まじい力業です。

 主人公はイタリア・ルネサンスの政治的・軍事的英雄であるチェーザレ・ボルジア。私がボルジアの名前を知ったのは、映画「第三の男」を見た中学生のときで、ラスト近くでオーソン・ウェルズが、ルネサンスの影の部分である戦争と恐怖と流血と殺人をボルジア家の政治の特徴だといっていました。それで私はボルジア家を代表するチェーザレに興味をもったのです。妹の絶世の美女ルクレツィアとの近親相姦(そうかん)の挿話にも想像力を刺激されました。

 しかし、惣領冬実版のチェーザレには、そんな安っぽい悪魔のようなイメージはまったくありません。神聖な権威(ローマ教皇)と世俗の権力(皇帝たち)のあいだでバランスを保ちながら、理想の国家運営とはいかなるものであるのかを探求する政治哲学者であり、果断な決定の、冷徹かつ迅速な実現に徹する行動の人なのです。

 しかも、このマンガが扱うのは、1491年秋から翌92年夏までの、チェーザレが16歳だった1年弱の期間です。塩野七生の『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』でいえば、冒頭の数ページに該当する部分です。

 しかし、惣領冬実は、この青春の一時期にこそ、チェーザレの思想と行動の美質がもっとも鮮やかに示されていると考えて、ここにチェーザレ・ボルジアの人生を凝縮したわけです。

 物語の大筋は、ピサの大学で学んだチェーザレが、メディチ家をはじめとするイタリアの権力者や、各国の王、教皇以下の聖職者たちとわたりあいながら、父・ロドリーゴが新たな教皇に選出されるのを支えるというものです。

 権謀術数が火花を散らしてぶつかりあうミステリーとしても、チェーザレを慕う若い男の部下たちのちょっと色っぽい群像劇としても、ルネサンスという世界史の転換点の本質を解明する歴史物語としても、細やかに時代を再現する華麗な美術絵巻としても、文句なしに楽しめる上質な娯楽作品です。

 ひとコマひとコマの完成度を大事にする画風は、日本のマンガの流れるような物語作法より、西欧のグラフィック・ノヴェルに近いものかもしれません。しかし、それもまた題材によく適したものだという気がします。=朝日新聞2022年2月9日掲載