1. HOME
  2. 書評
  3. 「まず牛を球とします。」書評 ジェットコースター的思考実験

「まず牛を球とします。」書評 ジェットコースター的思考実験

評者: トミヤマユキコ / 朝⽇新聞掲載:2022年09月17日
まず牛を球とします。 著者:柞刈 湯葉 出版社:河出書房新社 ジャンル:小説

ISBN: 9784309030562
発売⽇: 2022/07/22
サイズ: 19cm/285p

「まず牛を球とします。」 [著]柞刈湯葉

 牛を球にするってどういうこと? と思って読んだら、文字通り牛が球になっていた。牛肉は食べたいが、動物は殺したくない。そんな人間の思い(エゴ?)が生み出した大豆由来の牛球が、培養液の中をゴロゴロ転がっている。そして見学者が、「球よりも立方体のほうが、隙間がなくて効率的なのでは?」「あの、牛は、目を回さないのでしょうか」などと質問している。彼らの世界ではこれが普通で、素朴な疑問をぶつけているだけなのだ。ちなみにこの作品、別の出版社で「倫理的にダメ」とボツになったものだという。たしかに、現代の倫理観では牛を球にするのはダメかもしれない。でも、こんな未来が到来しないとも限らない、という妙な説得力が滲(にじ)んでいる。
 そんな表題作を含む14編は、いずれも作者のSF的想像力によって、どこまでも力強く自由に展開されていく。コロナ禍の日本に突如現れた、VTuberの箱男(もちろん元ネタは安部公房)。アインシュタインの論文を読み解き、未来のラジオ放送を受信できるマシンを作る大正時代の女学生たち。見知った名前が出てくるけれど、見知らぬ物語へ連れ出されるのがとにかく楽しい。さすがは横浜駅の終わらない建築工事に着想を得た『横浜駅SF』の著者である(小説内の横浜駅は自己増殖していたが、現実の横浜駅は2020年にひとまず工事を終えた)。
 「沈黙のリトルボーイ」は、広島を焼き尽くした原子爆弾が不発弾として広島県産業奨励館に刺さったままだったら?という物語。アメリカ人科学者テッドは、つい先日まで殺せと言われていた人々を今度はひとりも殺さないよう、慎重に爆弾を処理しなくてはならない。歴史に「もしも」はないと言うが、「もしも」から見えてくるものもある。
 摩訶(まか)不思議なシチュエーションに常識はひっくり返され、善悪は反転する。そのジェットコースター的思考実験こそが、本書の魅力なのは言うまでもない。
    ◇
いすかり・ゆば 作家。著書に『人間たちの話』『未来職安』『重力アルケミック』など。